徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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ギターボーカルという絶対正義

問答をする隙間すら与えず、泣く子も途端に口をつぐみ、悪代官だって紋所を突きつけられたようになる存在、それが、ギターボーカルである。ことバンドにおいて、ギターボーカルの存在感は百発百中で当たる一撃必殺技の如き殺傷能力を備え、民主主義的解決を悉くひっくり返すだけの裁量権を持っている。

ただのギターボーカルならまだしも、多くのギターボーカルは作詞作曲までこなす。沈黙を通したとしても唯一無二絶対不可欠な存在なのに、曲まで作られてしまった日にはどうしようもなく立つ瀬がない。卑怯である。

そういうギターボーカルは十中八九カルト的な人気を受ける。ライブハウスから飛ぶ声、武道館から湧き上がる歓声の大半がそのギターボーカルの名前で構成される。そんな歓声を受けながらギターボーカルはさりげなく水でも飲んでふらっとマイクまで来てありがとうって言う。会場が湧く。ギターボーカルははにかむ。はにかんでMCに入る。なんだお前は。神か。神なのか。

僕らが昨今耳繁く聴く音楽には多くの場合歌が入っている。「この曲知ってる?」と「この歌知ってる?」が同等の意味を持つあたり、曲における歌の比重はめっちゃ大きい。画竜点睛みたいなもので、歌が入ってこそ曲になる。その最後の一画を握っているのがギターボーカル。僕がバンドです。僕がいないとバンドじゃないです。間違っちゃいないが癪である。しかし、間違っちゃいない。君の世界じゃ君が正義だ。

メジャーがあってこそマイナーが存在する。ギターボーカルがあまりにもメジャーとして君臨してしまっているものだから、リズム隊がマイナーとなってしまっている。最近こそ僕らのような素人音楽マンたちも普通に知っているベーシストが表れてきた。亀田誠治然り、ケンケン然り、ハマ・オカモト然り。彼らは主役だ。主役になりうる。でも、バンドにおける彼らの呼称はリズム隊。東山と植草と錦織でもないのに隊を成している。対するギターボーカルは1人で2つの楽器を占めている。おかしくはないか。ドラムとベースを合わせてリズム隊と言うのに、1人の人間がギターボーカルである。キャラ立ちしすぎている。漫画とかでギターボーカルがふらっと出てきたらキャラ立ちしすぎて完全にこいつ後で仲間になるだろって思う。と思ったらライバルとして出てきたりするんだろう。小憎らしい。

じゃあ、メンバー紹介しまーす。

ギター、誰々。ドラム、誰々。ベース、誰々。そしてギターボーカルの私です。

なんでお前最後なんだ。この後に及んで全部掻っ攫っていく気か。そもそもライブ会場なんてギターボーカルの庭だ。君が出てきて盛り上がらないはずがない。だからってこれ見よがしに最後に全部持っていくか。初めてメンバー紹介を見た人の頭の中は最早君の名前しか残ってない。マイクの扇動効果を知り尽くしすぎている。ずるいぞって声を大にして言いたい。しかしその声すらギターボーカルの声と歓声にかき消される。恐るべしギターボーカル。

暴虐武人を尽くすギターボーカルだが、有能なギターボーカルは自分の無力さに気づいていたりもする。バンドにおいて、音楽において、リズムほど重要なものはない。すなわちリズム隊と呼称されてしまうドラムとベースこそ音楽なのである。それをギターボーカルは知っている。今、胸に手を当ててみてほしい。鼓動を感じるだろう。命を繋ぐものこそ心臓であり、心臓が刻むのはリズムだ。リズムがなければ何事も動き出さない。命を司るリズムに対して、ギターボーカルが司るところは生命の外観である。ヒトか、イヌか、カメか。ギターボーカルによって見た目が変わって行く。イヌ好きもいればカメ好きもいる。外観を司るギターボーカルに人気が集まるのは当然である。しかし、生命を動かしているのはリズム隊。この関係を熟知したギターボーカルがいるバンドは長続きする。しかし、一度でも自分が心臓だとギターボーカルが勘違いをすると瞬時に心臓はもぎ取られ、生命が止まる。

ギターボーカルよ、謙虚であれ。

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