徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

レンジャー訓練から帰還した元自衛隊の旧友と会って感じたこと

自衛隊に「レンジャー」という訓練があることはご存知だろう。

レンジャー (陸上自衛隊) - Wikipedia

YESもNOも、全てのレスポンスを「レンジャー!」と叫ばねばならないことで有名である。概要はWikipediaを参考されたい。

その友人は高校時代の陸上で知り合った。地元は違うのだが、同じ競技をやっていて、大会のたびに顔を合わせては仲良くなった。そういった付き合いだったもので、高校を卒業してからは全く疎遠になってしまっていた。彼がどんな人生を送って来たのかも全く知らずにいた。

なぜだか不意に連絡を取り出して、昨日会うことになり、話した。

あのレースはどうだった。あの時しんどかった。積もる話もそこそこ、彼の人生が面白かった。自衛隊、パチプロ、パチンコの台付け屋、キャバクラの店長。そして今は唐揚げ屋さんをやっているらしい。公務員も昼の仕事も夜の仕事も知ってるんだよねって何事もないかのように彼は言っていたが、途轍もない人生経験だと思う。普通に大学を出て就職した人間にはとてもじゃないが及びもつかない。

中でも、何につけても、自衛隊のレンジャーが辛かったと話した。

それこそ、僕も昨日までは「レンジャー!」って返事をすることしか知らなかったのだが、全くもって甘いものじゃない。生き地獄がそこにはあった。「レンジャーだけは何億何兆と金を積まれても二度と行きたくない。」パチプロで日々30万も勝ってきた、金をこよなく愛する彼がこういうのだ。約3ヶ月間続く、地獄。

 

以下、印象的だった話をざっくばらんに書いていく。

レンジャー初日、朝四時半まで走り続ける。翌朝5時半に起きる

レンジャーはとにかく走る。走って、寝ない。寝ないで走って、水を飲まない。初日の洗礼が印象的だったと彼は言う。グラウンドにフル装備で集合させられたレンジャー達は銃を持ちながらひたすらに走らされ続ける。いつまで走るのか。それは、誰かが倒れるまで。しかし、歯医者の痛かったら手を挙げてくださいシステムと同じ状態で、誰かが倒れても終了の声はかからず、結果四時半までフル装備と約4キロの銃を担ぎながらひたすらに走る。靴擦れで血だらけの足を引きずりながら、シャワーなんて浴びる暇もなく気を失うようにベッドに倒れたと思えば、1時間後には起床の笛が鳴る。

これが、初日。絶対嫌だ。絶対嫌。初日がめっちゃ苦しかったと彼は言っていたが、辞めたい気持ちや死にたい気持ちは初日から最終日までずっと全開だったらしい。最初から最後までフルスロットルの苦しみがそこにはある。

行軍が辛い。水が欲しすぎて殺虫剤を飲む

訓練には駐屯地で行うものと、山で行うものがある。山で行うものが、行軍。詳しくは覚えていないのだが、想定を示され、それに則って目的地を目指すものらしい。3ヶ月の間で10回近い行軍がなされる。多分、Wikiにも書いていると思う。

山登りだけでも苦しいが、何しろレンジャーである。ただの山登り・山籠りではない。40キロの荷物を担ぎ、銃を持っての訓練。しかも食料は二人で缶詰二つ。水分は二人で1リットル。行軍日程は数日間。気も狂うだろう。陥るのは圧倒的な脱水症状と栄養失調。行軍当時は雨が待ち遠しくて仕方なかったらしい。とにかく水が飲みたくて、水たまりがあったら転んで水を飲み、自らの小便を飲み、ついには殺虫剤を飲んで担架で運ばれたところで目覚めたと言う。担架の上で上司に行けるか?と問いかけられた彼は反射的に「レンジャー!」と叫び、無事、訓練に復帰したらしい。ヤバい。

走馬灯を見る。幻覚も見る。山の緑が生茶に見える

銃を構えながら歩いていたら不意に昔の光景が浮かんできたりする。親の顔がフラッシュバックする。そういったことが多々あったらしい。身体が限界になるとそろそろ死ぬよって見せてくれるらしいよ〜だそうだ。彼だけではなく、彼の周りのレンジャー経験者も同じような場面に遭遇している。レンジャーあるあるらしい。

幻覚の中でも、森の緑が生茶に見えたり、マルボロに見えたりした時は本当に辛かったと言っていた。「緑が生茶に見えた」ってイカれ具合にめっちゃ笑ったんだけど、笑い事じゃなかった。とにかく水が飲みたい限界状態で緑を見ると、綺麗だなよりも、澄んだ空気だなよりも、生茶や伊右衛門を連想するらしい。他にも、何かちょろちょろ聞こえた気がして行ってみたら遥か先に川があったりしたこともあるという。幻覚と研ぎ澄まされた感性は紙一重である。

最終行軍。散って行った仲間達の荷物を担ぎながらの帰還

最終行軍の日程は4日間。食料と飲み物は前述の通り、缶詰2個と1リットルの水。4日間で200キロを動き、様々なミッションをこなしていく。様々の内容はよく覚えていない。イジメ抜いた3ヶ月。最高に身体も弱っている中、最後の最後に待ち受ける地獄。水分も食料もないなかで歩き続けて走り続け、仲間達が続々と倒れていく。その仲間達が背負っていた荷物(40キロ分と銃)を生きている奴らが背負っていかねばならないルールがある。仲間がくたばる度に重くなる荷物。命の重みである。そうして、やせ細った身体と膨れた荷物を抱えて生存者は山から降りてくる。

彼の時はたまたま脱落者が少なかったらしい。助かったと行っていた。自助公助の究極系である。

 

まだ書くことがあった気がするが、酔っ払った頭を引きずって寝て起きたらこれくらいしか残っていなかった。過酷さが伝わるだろうか。

最初に書いた通り、彼はその後職を転々とするのだが、これより辛い経験はないと語っていた。物理的に、生命として死を感じたのは後にも先にもこれっきりだと。そりゃそうだろう。インフルエンザになっても全然余裕だったから普通に働いたなんて武勇伝を披露していたがそれは迷惑である。

 

そんな彼が語る戦争

「戦争は多分あんなもんじゃない。」

彼はそう話した。レンジャーをなんでもない国民が行う状態が戦争だと語った。僕らは昨日、錦糸町の居酒屋でレンジャーの話を笑いながらした。彼の思い出に僕が相槌を打った。

「じゃあ例えば今、北朝鮮がミサイルを撃ったとするじゃん。きっと一発目は防げないんだよね。不意打ちに対応できる装備がないから。どこ狙うと思う?自衛隊が一番たくさんいる東千歳駐屯地か、東京だよ。23区のど真ん中にミサイル落とされてみなよ。ここも焼け野原だよ。日本が止まる。みんな水を求めて動くんだよ。」

右手にウーロンハイを持ちながら、少しだけ酔いが覚めた。

危機がなさすぎて、日本は、日本国民は危機を危機と認識できていない。「いつ何が起こるかわからない国際情勢」と文字にするのは簡単だが、じゃあ実際何が起こり、僕らの生きるレベルでどうなっていくのか、具体的に想像ができない。でも、彼にはわかる。レンジャーこそ戦争体験だった。ギリギリの身体。助けの来ない山の中。死がすぐそこにあった。

 

死を覚悟させる訓練。それをくぐり抜けた人間が日本に一定数いる事実に、僕は頼もしさすら覚えたが、同時にそれは、日本国土において死を覚悟する場面が訪れるかもしれない証左でもあった。まして昨今。どう転ぶかわからない。持ち用のない危機感を持っていかねばならないのだろうが、どうすればいいのかわからない。身の守り方すらも知らない。

彼と酒を飲みながら、レンジャーを半分笑い話にできる今が平和で幸せだと結論した。全くその通りだと思ったし、レンジャーをくぐり抜けた彼が言うならその通りなのだろうと思った。