徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

台風を待つ夜に、ショパン「雨だれ」について書く

雨だれの入り口

父の方針だと思うんだけれども、実家の朝は必ずクラシックが流れていた。父の作業用BGM。伝票書くにも、料理作るにもクラシック。で、息子もいざ作業に向かう時、クラシックをBGMにすると捗る。歌モノだとほぼ確実に歌ってしまって作業にならない。

amazonプライムに加入してからというもの、ヤマト運輸と日本郵政の物流網を濫用しつつ、プライムミュージックとプライムビデオにうつつを抜かし、父の所為もあってか専らプライムミュージックではクラシックを流している。

なまじっかピアノをやっていたから、思い出を掠める曲も多い。弾いた曲もあれば、発表会で他の人が弾いているのを散々に聴いた曲もある。

殆どのクラシックベストのようなCDに入っている曲で、ショパンの「雨だれ」がある。バチバチの有名曲。確か、中一くらいの時に弾いた曲だ。プライムミュージックを流しっぱなしにしていると時折流れる。思い出補正も相まって、しみじみいい曲だと耽る。

素人ながら、雨だれについて書かなきゃいけない気持ちになってきたので、書く。

 

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雨だれの話

雨だれの魅力は大きく2つあると思う。

毒のない綺麗なメロディとわかりやすいストーリー。総じて名曲はどれもこれらの魅力を備えているものだが、中でも雨だれは格別だと思う。

特に、ストーリーのわかりやすさが白眉。

とかくクラシックは歌詞がないから退屈だったりする。わかりやすい音楽が溢れている昨今だから尚更だ。例えば、有名なショパンの曲で「仔犬のワルツ」がある。最初の右手を酷使するターンの連続で、自らの尻尾を追いかける仔犬を表現したのは有名な話で、名だたる作曲家たちはリズムと音階で情景を表現しようとしていた。

そこで、「雨だれ」

雨だれの特徴は何と言っても終始鳴り続ける「ラ♭」だ。上手い人が弾くほど、「ラ♭」が一定の強さで静かに響く。

この「ラ♭」が何を隠そう、雨だれの音を表現している。一度聴いていただきたい。雨どいを伝って地面に落ちる雨だれが簡単に想像できたのではないだろうか。仔犬のワルツのターンよりもシンプルで、強烈な表現だ。

鳴り続けるラ♭をよそに、雨だれは曲としてもストーリーを紡ぐ。転調するまでのメロディより感じるのは、薄曇りの中でポツポツ落ちてきた程度の雨だ。全く嫌な気分がしない。心持ちとしても明るい雨である。

しかし転調を機に猛烈な雨雲とうねりがやってくる。荒天にかわる。でも、常にソ♯(ラ♭)は鳴り続ける。オクターブ下で、重苦しく。余談だが、転調した後の荒天パートを下手な人が弾くと、ソ♯の連打がめっちゃうるさくて左手のメロディが聴こえなくなるのがあるあるネタだ。さておき、連打のなかで悠然と響くメロディがまた天気の悪さを助長させる。荒天パートの中の特徴は強弱の揺れにある。終始指示されているクレッシェンドでフォルテまで達した後に突如訪れるピアノ。風が吹き荒れているような情景が目に浮かぶ。嵐の夜、予想つかない強弱で吹き付ける風である。余談だが、下手な人が弾くと入りの音がデカすぎて全くクレッシェンドが効かなくなるのもあるあるネタである。

荒天パートは、重厚感たっぷりな和音の旋律を奏でた後、唐突に転調する。そして、冒頭の再現部が始まる。一転、薄曇りに戻るのである。薄曇りパートがしばらく続くかと思えば、そうではない。「シ♭」。これである。明らかに、日が射した。ハッとさせられる。雲が切れた!と思った瞬間、強烈なデクレッシェンドがかかる。雨だれのソ♭も段々弱くなる。そして、ゆっくりと終わる。

 

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クラシックと雨だれ

言葉を使わないクラシックに何を思うか。これはすごく難しい。言葉を使った方がよほど気持ちを伝えるのも共感するのも楽なのだ。その分、クラシックは曖昧で、ある種先述のように退屈でさえある。

でも、その曖昧さがクラシック最大の魅力だ。楽しそう。勇ましい感じ。悲しい。荘厳さ。音階と音色から受ける抽象的な印象は、人生の様々な場面に当てはまる。想像次第でいくらでも物語が広がる。

しかし、僕らは素人である。音への感受性には限界がある。バロックの無機質なカチカチした音に物語を見るのは至難の技だろう。そんな僕らがわかるクラシックが、ショパンで、中でも雨だれのわかりやすさが飛び抜けている。そういう話でした。雨だれの起承転結には多くの物語が当てはまるだろう。額面通りに天候の移り変わりを愉しむもよし、パーソナルなお話を投影するもよし。

今夜から明日にかけて、台風が日本を縦断していく様である。雨だれへの感傷をよそに、明日も仕事なのです。多分めっちゃ空いている電車を夢見て。