徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

父方と母方、2人の祖母に今聞きたい

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

誰しもが4人の祖父母を持つ。生命がそこにあるということは、4人の祖父母が生きていた証拠でもある。

僕が生まれた時、すでに父方の祖父は他界しており、三名の祖父母がじいちゃんばあちゃんの全てだった。どちらの家にとっても最後の孫となったこともあり、それは大事に育ててもらったと思う。

生まれて25年。その間に母方の祖父と父方の祖母が亡くなり、いま、母方の祖母のみが生きている。

何年か前から認知症を患った母方の祖母はいよいよ元気がなくなり、寝付き、しかし一生懸命に生きている。介護と医学のベールに包まれながら眠る祖母。ひたすらの老いと弱りに、生命が戦っている。

母の実家は千葉県にある。祖母の具合が悪くなってから、母は頻繁に実家に帰るようになった。母の帰省のたびに僕も祖母の家に行き、母と共に祖母の傍に佇み、語らう。

誰しもに4人の祖父母があるように、僕の母にも2人の母がいる。実母と義母。どちらも商家で、商売をぶん回してきた2人の女。2人の生き様を見てきた母は、商売のやり方が全然違ったことをしきりに話す。

損して得取れタイプが母方の祖母で、ひたすら得取れタイプが父方の祖母。製造業の母方と小売業の父方という違いもある中、どちらも過ぎたるは及ばざるが如しで、損し過ぎて苦しくなったり、がめつくし過ぎて人が離れて行ったり、色々な山と谷があったようである。しかし、各々の生き方で、各々の犠牲を払いながら、精一杯生きて、生きた。

 

祖母二人にはたくさん目をかけてもらった。北海道で育ったから、北海道の父方の祖母には年中会って話していたし、夏休みや冬休みの折に母と千葉に帰省するたび、母方の祖母からは「大きくなったねぇ」が飛んできた。大人が子供に使う常套句。聞き飽きるくらいに聞いた。

祖母たちの目から見た僕はどうひっくり返っても孫だし、母は娘で、父は息子だ。人生を数直線にすると、後ろから彼女たちの背中を見ていることとなる。今になって聞きたいのは、祖母たちはそれぞれの人生をどういう風に考えてどう生きてきたのかだ。孫として、数直線の後ろから背中を眺めてインタビューするんじゃなく、居酒屋で知り合ったとか、友達になったくらい距離感で、何してきたのか、どんなことを考えていたのか、何が辛かったのか、どう切り抜けたのか、折れたのか、全部聞いてみたい。父や母の口から語られる二人ではなく、本人から、本人の言葉で、彼女たちの人生を話してみてほしい。身近な先達として、どんな信念のもと商売していたのかを知りたい。ただ、きっともう叶わない。

 

話を聞いてみたいと思った時にはもう聞けなくなっている。知りたいと思った時にはもう知り得なくなっている。大概そんなもんなのかもしれない。

母の実家にある古いアルバムに、祖母が赤子を抱いて微笑む写真が収められている。ふっくらした祖母。自分と同じ年齢くらいの祖母である。しかし、腕に抱いているのが伯母なのか、母なのかすらも判然としない。写真に残っているものすら事実がわからなくなる。文章に残っていない思想は当然の様に闇の中だ。


史学者の磯田道史をご存知の方は多いだろう。メディアにもよく出ている、自他共に認める古文書オタクである。ぼちぼち彼の著作を読んでいると、名もなき大名、名もなき人にも当たり前のように大層な哲学が転がっていることがわかる。

先達がたくさんいるなら、そこから学ばないといけない。逆に、先達は先達で、経験と知識を残していかなければならない。背伸びしたって振り返ったって知る由も無い、身近な先達2人の人生を思う。

翻って、果たして自分がなにを残せたものかとも思う。残すだけの努力をしているかと言われると、甚だ苦しい。