徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

銭湯に行った話

一昨日、お休みの日に銭湯へ行った。

なんとなく鼻のあたりがムズムズと詰まりかけていて、放っておくと明らかに風邪になっていく気がしていた午後。一生懸命BiSHのニューアルバムについての記事を書いてひと段落したところで、汗をかきたい気分に駆られた。ここのところ新陳代謝がよくないのかもしれない。冬だし、汗もそんなにかかないし、物理的多忙により仕事中は水もあまり飲めない。買いに行く時間の余裕もない。

これは一発、猛烈に代謝してやろう。

iMacで近場の銭湯をいくつか調べ、湯冷めしたくない一心で一番近い銭湯へ足を向けた。

最近は銭湯と言ってもスーパー銭湯が多くなった。なんやかんやで沢山湯船があって、お湯の温度もいろいろ。ジェットバスに電気風呂。よりどりみどり。

一方で老舗銭湯は時代とともにどんどんと肩身が狭くなっている。実家の古株銭湯も5年ちょっと前に閉まってしまい、生粋の地元っ子は寂しさに浸った。

時代背景をよそに、最寄りの銭湯は古き良き銭湯をそのまま具現化したような銭湯だった。

入るなり番台。根こそぎ男湯と女湯が仕切られているが、上では繋がっている。壁には無造作にロッカーが並び、中央にはベンチとマッサージチェア。隅っこに置かれた冷蔵庫には牛乳とビールと栄養ドリンク。ドライヤーは20円入れたら動く仕様だった。

スーパー銭湯であれば、大抵自宅より備品は整っているものだが、レトロな銭湯はむしろ自宅の方が整っている。本当に、最低限のものしか置かれていなかった。

さっさと服を脱いで浴場へ向かった。

ご想像の通り浴場の壁には大きな絵。滝の絵であった。どこのものかはわからない。滝の絵の麓に、一個浴槽がドーンと置かれている。

体を洗うにもシャワーは固定されていて、身体の方を合わせなければならない。新たなジョジョ立ちのようなポーズを決めながら身体を洗い、いざ浴槽へ。

なんの変哲も無い湯船に一気に浸かった。

想像通りの、熱湯であった。

銭湯といえば、熱湯。ヘンな価値観かもしれないが、僕の中にはそんな方程式が植え付けられている。

冬の外気にさらされて冷えた身体にズズズと温度が侵入してくる。白地図を塗るように体温が上がっていく感覚を味わい、身体の中心部にまで色が塗られた瞬間から汗が吹き出て止まらなくなる。熱くて熱くて仕方ない。

ちょっと休んでは入り、苦しくなってはまた休む。

繰り返しているうちになんとなくのダルさよりも今の苦しさの方がしんどくなってきた。

今、熱い。

どうしようもなくなった時に、上がった。

脱衣所でも文句なしに熱い。

拭いても拭いても吹き出る汗を無視して思いっきり厚着をしてしまう。耳の奥では血の流れる音がする。節々は赤い。猛烈な代謝であった。

すぐ、家路につく。

ほとんど燃えている身体は外気に負けない。火照ったまま家に着き、火照ったまますぐ寝たのだった。

翌日、全くの健康を取り戻していたのは言うまでもない。銭湯とストラテジーによる勝利であった。


広い湯船に深ーく浸かってみて、普段自分の血行がどれほど滞っているかがよくわかった。滞りというのは、やはり良いことではないだろう。

たまにはポンプに負担をかけて血をガンガン流してやることも必要らしい。

足を伸ばして湯船に浸かる銭湯の開放感しかり、あの温度しかり、溜まり溜まったものが一気に流れたような素晴らしい心地よさであった。

今の家での生活はあと2週間程度で終わってしまうが、居を移してもどこか見つけてたまに足を運ぼうと思う。

そんな久しぶりの銭湯体験でした。