「人生経験になった」とか、「いい経験だ」とか、ネガティブなことを跳ね返す時によく使われる言葉である。
この「経験」。実際、こいつの正体ってなんなのだろうか。何をもって経験とし、なんで辛いことが起こると僕らは「経験」と唱えるのか。
経験には、先の用法の他に、
「勤続20年の経験豊富な…」
といった時系列に基づいた用法がある。
同じように「経験」と言ってはいるが、両者の意味合いは若干異なる。
しかし、本質としては同じことを言っているように思う。
辛いことを跳ね返した際の「経験」用法は、垂直方向への上下の動きであり、時系列に基づいた「経験」用法は、水平方向への直線である。この、線の長さが長ければ長いほど経験豊かという表現が用いられる。
わかりにくいと思う。
y=x^2のグラフが、辛いことを跳ね返した際の「経験」用法で、数直線が、時系列に基づいた「経験」用法。
イメージつくだろうか。
何が言いたいのかというと、がっつり凹んで復活した際の線の長さとずーっと真っ直ぐ伸びている線の長さを比べると、遠回りしているぶん凹んで復活した時の線の長さの方が長いよね。ということを言いたかった。
線の長さを「経験」と名付けるならば、落ち込んではV字回復しているやつがめちゃくちゃ経験豊富てこととなる。
例えば失恋とか。
確実に凹むんだけど、克服したら強くなれると言う。いい経験だったと思う。それは遠回りながらもV字回復を遂げて、復帰したからだ。長い直線を引いたからだ。
堀江貴文がちょっと前に多動力って本を出して話題になっていた。
チラリとも読んでいないでアレなのだが、この多動力と言うのは経験をゴリゴリ増やしていく力のことなのではなかろうか。
凹んだ時、V字回復に必要になるのは一生懸命さである。
一生懸命に没頭して、へっこんだことと闘い、這い上がる。
多動力。
色々なことに手を出して、凹むたびに夢中になって這い上がって、這い上がったらまた違うところで凹む。
たいして動かないで平坦な直線を結んできた人とは比べ物にならないくらいに長い線を引きながら生きる。経験を積みながら生きる。
多分堀江貴文はそんなことが言いたかったんじゃないかなって思う。今度読む。
そんなことを言い聞かせながら、一生懸命働く。
一生懸命やったら経験になるの裏返しは、一生懸命やらないと経験にはならない。20年もの長い時間停滞していられるような人生じゃない。がっつり凹んで、がっつり一生懸命になって、がっつりカムバックして、次のステージに行く。
そんな言い聞かせながら。