徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

感傷に浸る間もなき転居かな

仕事でボコされて飲むしかないだろうと街に繰り出し、30分もせずに華麗に終電を逃した先のスーパー銭湯で世を明かす午前8時半。外は薄曇り。遠く錦糸町の家に干しっぱなしの洗濯物が気がかりだったりする。が、究極に気がかりなのが連日連夜追い立てられるように急き立てられるように生きている自分の体調と明日の引っ越し。

憂うだとかセンチメンタルだとか、あの類の感情というのは、時間と心に余裕ができて初めて生まれるものなのではなかろうか。錦糸町で過ごした3年と少し。あの日々をエモーショナルに綴ろうとしたって、時間もなければ余裕もない。そもそもダンボールがまとまりきっていないというのに、考えがまとまるはずもなく、叙情もへったくれもないのである。

為せば成る為さねば成らぬとはよく言うが、為していくのも成すのも自分。言うが易し。

睡眠が欠けまくった頭をサウナと水風呂で叩き起こしてまたファイティングポーズを取る。繁忙期はそのうち終わるが、仕事は自分が片付けていかなければならない。昨日のトラブルを踏ん張るのは今日の自分。生活は、仕事は、点ではなく線なのである。

生活が張り詰めると、心の琴線はたわむ。働いて、動いて、乗り越えた先、弛緩した生活の中、心の琴線のテンションを上げていきたい。

哀しいかな、錦糸町との別れは淡白なものになりそうだ。雑然とした街との別れにはそれくらいが丁度いいのだろう。