徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

羽生結弦が苦手だったけれど。

羽生結弦はいよいよ国民的なアスリートとなった。とっくにスターだったけれど、オリンピック連覇された日には誰もケチをつけられない。圧倒的実力に裏打ちされている。

かねてより、羽生結弦を見るたび自分に酔っている感じを受けていた。一挙手一投足が妙に剥き出しで、不安なような、ヒリヒリするような。思春期がまだ名残っているような。

今日の仕草にも僕はヒリヒリさせられた。

演技後リンクに手を当てて感謝を捧げる姿や、表彰台に飛び乗る時の姿。なんて無邪気で、なんて不安にさせるのだろう。これまで、そのヒリヒリがどうも苦しくて、僕は羽生結弦のことを特別好まなかった。

しかし改めて、このオリンピックに至るまでの道のりを知ると、好き嫌いじゃもはや語れないことに気がついた。文句なしで、掛け値無しで、凄い。

優勝候補が怪我をして、リハビリして、オリンピックぶっつけ本番で勝つ。

これをやりきる精神力を捻出するには、多少のネジを外して自意識にブーストをかけるしかないのだろう。

リハビリが地道と過酷を極めたことは想像に難くない。淡々とした治療と筋トレ。湯水のようにじゃぶじゃぶ過ぎていく時間。焦ったと思う。不安にもなったと思う。そこで助けてくれるのは、誰の励ましより、誰の応援より、自分自身への自信と期待だ。

絶対勝つ。絶対に奇跡の復活と言わせてやる。一面は俺が飾る。理想の幕切れ。歓喜の渦の中心に自分がいる光景を目に浮かべることこそ、弱った心を最も奮い立たせる。

そのためには、どうしても自分に酔わなきゃいけない。

羽生結弦に備わっていたのは、ヒーローの資質そのものだった。自己陶酔の技術と、スケーティングの技術。両の車輪がが高度に機能していた。さらに上物が端正なルックスである。人気が出ないはずがない。

復帰に向けて、自己陶酔している…いや、しなければならない羽生結弦が、社会に受け入れられた。それが大歓声であり、氷上を埋めたプーさんだった。


ヒーローとしてヒーローの役割を全うした羽生結弦と、彼をヒーローと認めた国民。観るものと演ずるもの。こちらも、両の車輪が噛み合っていたのだろう。

陶酔の最中にいる羽生結弦を、やっと凄いやつだと素直に認められた気がした。


同時に、羽生結弦がスケート選手としてどこまで突き抜けていくのか、また、スケート選手としての人生に区切りが来た後、どんな人間として生きていくのかに大変に興味が湧いた。どんな言葉で、今日日のことを語っていくのだろうか。

ヒーロー・羽生結弦が一区切りした時の、人間・羽生結弦を、早く見たい。話を聞いてみたい。その時また少し、羽生結弦を好きになれるかもしれない。