徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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京都の二面性

京都の夜は毎度楽しい。先斗町に行き、知らない居酒屋に入り、見知らぬ人とただならぬ縁を見つけ出し、美味い酒を飲む。日常の暮らしの中ではふらっと居酒屋に入ってしこたま飲むなんてしないけれど、京都という街が、旅が、そうさせる。

昨日であったお姉さまと今日も飲む約束をした。京都生まれ京都育ちの生粋の京都人。居酒屋の大将は京都人の怖さを滔々と説いていた。

懐に入らないと冷たい京都の人。「京都」を大切に扱わないと社交性をシャットアウトされ、生まれの話になると厳しさを見せる。それが京都の人。表面でニコニコしてても腹の中は全然わからないと、異口同音であった。


京都の街もそうだ。

当たり前のように寺社仏閣がすっ転がっており、国宝と重要文化財の雨嵐のくせして、駅ビルとか四条通りとかは現代の建築が軒を連ねる。景観保護としてコンビニもチェーン店もはんなりした外見になってはいるものの、中身はなんら変わらないチェーン店である。


今と昔。北と南。表と裏。そして、本音と建前。

なにかと京都の街を取り巻く物事は二律背反の対立構造を見せる。それは御所をそなえた街が湛える特性なのか、なんなのか。住むと恐ろしいよ…と言われた街は、見てるぶん、飲んでるぶんには心地よい街だった。

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