徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

mol-74「エイプリル」

ちょうど一年前にアップされた曲。

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ちょうど半年前くらいに知って、しばらくよく聴いていた。

MVに出ているRirikaって子が可愛くて仕方ない。YeYeのゆらゆらも必見。

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まじで腐る程見た。かわいい。

 

 

さて、エイプリル。

よくもまあこんなにわかりやすく終わった恋の心情を書けたものだと思う。色々とそれらしき言葉を使いながら、結局、彼女となんで別れちゃったかなーってことしか言っていない。「綺麗な映画を見るたびにふと君を思い出し」、でも「映画みたいにはいかない結末」が用意されている。当たり前だ。当たり前を歌うから、当たり前に動く心情がある。

 

山崎まさよしの「One more time,one more chance」はご存知だろう。J-POPが誇る大失恋ソング。

いつでも探しているよ どっかに君の姿を

明け方の街 桜木町で こんなとこに来るはずもないのに 

日常の、非日常の、すべてのどっかに君を姿を探してしまう。痛いほどに辛い。

 

歌詞を読むとニュアンスが伝わって来ると思うのだが、「One more time,one more chance」がフラれた歌だとすると、「エイプリル」はフった歌だ。

山崎まさよしがあまりに鮮やかにフラれたズグズグの心を描いてしまったからなのかもしれないが、mol-74の「エイプリル」にはフラれた直後の悲壮感や自己嫌悪が少ない。どこか冷めている。冷めながら、後悔が滲み出している。

 

自分から終わらせた恋か、相手が終わらせた恋か。

相手が終わらせた恋は、瞬間の自己嫌悪がすごい。が、その後徐々に傷が塞がっていく。一方、自分から終わらせた恋は、別れた瞬間にある種せいせいした気持ちになる。けれど、その後時間経過と共に後悔がじわじわじわじわと襲ってくる。もう見ないからと捨てたアルバムの写真が妙に恋しくなるように。

線路沿い、

変わらない街並みと匂い、変わった僕だけがいる

屁理屈並べても戻れない日々をただただ嘆いた

変わったのは僕。嘆いたのも僕。

エイプリル

僕は変わった?

エイプリル

君は変わった?

いつもいつまでも続いていくような気がしていた午後

四月、出会いと別れ、年度の変わり目。桜と葉桜の狭間で何かと変わろうとする人々。自分たちの、むしろ自分の変化を春に四月になすりつけて、後悔の念をごまかしている。

 

極め付けが一人称MVである。

男性側の一人称MV。never young beachの「お別れの歌」に何度か殺された。

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これもフった歌だ。

フった悲しみの根源が後悔であるならば、後悔と悲しみは比例する。この、男性がスマホで動画撮影している視点は、思い出を反芻させるからして当時の楽しさをいとも簡単にフラッシュバックさせる。楽しさが蘇れば蘇るほど、後悔は膨らむ。なぜフった。なぜフったんだ。

「エイプリル」で秀逸なのはRirikaの可愛さはもちろん、怒涛のラストにある。

最後のサビ。色々な場面の彼女が次々出て来る。動画の断片が礫のように降る。あんなこともあった、こんなこともあった。後悔とか悲しみの波状攻撃の後、画面の比率が変わって桜が超高画質で現れる。

あぁ、変わった。

幾度となく繰り返す四季だけど、確かに僕は変わって、君は変わったんだと思わせる。

丘に登ったらいつか見た景色 季節の魔法で

スピッツ「夢じゃない」の一節である。

この「季節の魔法」という言葉が好きだ。自分がどうあろうと春は春、夏は夏の景色がそこには広がっている。季節の魔法によって。でも、「エイプリル」では違う。最後の最後に大写しになる桜は去年と同じだとしても、僕と君は違う。対照実験のようなものかもしれない。季節の魔法で景色が変わらないからこそ、僕らの心持ちが変わったことがより際立つ。

 

よくある話だろう。よくある歌だ。でもこれに心を打たれるのはなぜかといえば、多分Ririkaの力がでかい。

ほんと、どうしようもなく可愛い。