徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ごめんよ、身体

人を突き動かす情動は数多ある。怒り、喜び、愛。しかし、恐怖と痛みはどの感情も比肩し得ないレベルで人間を動かす。拷問がそうだ。恐怖と理性を天秤にかけさせる。痛みが迫る、死が迫る恐怖と、理性。究極の瞬間がそこにはある。

お腹痛くて会社を早退してから数日。僕は昨日も元気なふりして飲み会に行ってやはり腹を下すアホさを見せ、本日も同じ轍の上に乗っかろうとしているのだが、同僚のお姉さまからは非難轟々病院行け行けの大合唱を浴びせられ、果たして僕のお腹はそうまで大変なことになっているのだろうか…果たして…果たして…と諸々考えちゃってる。そう、恐怖が生まれている。

大丈夫、若いから、大丈夫と言い聞かせている自分と、もしかしたらやばいんじゃないなこれ?重い病なんじゃ?とチキン極まる自分。酒が、つまみが、万能薬であればいいのにと嘯きながら今日も戦場へ向かう。

素直に恐怖に従えばいい。だが、一番融通効くのが自分の身体だ。企画の発信が遅れて一番バカを見るのが下請けであるように、身体にはあらゆる無理がかかる。身体の優先順位を上げてやる必要があるのだろうけれど、それが若さなのか、パワープレイでゴリゴリやれちゃう。やっちゃう。

不毛な飲み会は減らすようにしている。こいつすげーなって奴と同席する飲み会か、人と人を繋ぐ飲み会か。この頃はどちらかである。役に立ってる、役に立ってるを言い訳に。ごめんよ身体。近いうち労わるよ。それまで頑張ってくれ、一緒に頑張ろう。