徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

京都と結婚式と、僕の生きづらさ

京都。結婚式だった。

小中との同級生が新郎。学区も一緒で、小学校はよく一緒に通っていた。だからと言って毎日一緒に遊ぶほどかといえばそこまでではなく、ほどほどの距離感で6年間が終わっていった。いよいよ仲良くなったのは中学生になってからであった。中学生。Junior high school student。人生80年のうちに使える感受性がビッチビチに詰め込まれた期間。特に2,3年生は壊れかけのRadioよろしく少年から大人に変わる時期で、お互いの少年〜大人ロードを分け合った友人は生涯通しての友になっていく。まどろっこしく書いたけど、つまりは同じ友達グループに身を置いて、いまでもそのグループでの付き合いが続いているということである。当時は本当に朝から晩までよく遊んだ記憶がある。何をしたか、仔細なところはよく覚えていない。楽しかった残像だけがありありと残っている。高校は別だったが隣接する高校に通って共に陸上競技に肩まで浸かった。種目は違えど、お互い北海道のトップにたった瞬間があった。僕が短距離、彼が長距離。当時のオホーツク・網走管内の陸上を二人で引っ張っていたと、僕は思っている。順風に吹かれた高校陸上から打って変わり、二人で大学陸上にぶっ殺された。どれだけ傷の舐め合いをしたことか。日々の練習から逃げるように、西友で買ってきたポテチとカントリーマアムとさきイカを貪りながら桃鉄100年コースを徹夜でやった幾多の夜を忘れることはないだろう。苦しかったけど、楽しかった。苦しかったから、あの瞬間は楽しかった。考えてみれば、小学生の時分からの知り合いと大学まで似たような気持ちで人生を過ごせるというのも貴重なことだったとしみじみ思う。そいつが結婚したということで、祝わねばと京都まで足を伸ばしたが、色々あって祝宴遅刻しましたごめんなさい。

結婚式を見て、私も幸せになりたいとか感動して涙するとかのリアクションを取るのは女性に多いのだろうか。何度も結婚式や二次会に出席してきた中で、今回はぶっちぎりで付き合いが長くて深い友人だったけれど、感情をグラグラに揺さぶられることはなく、嫁さんがしっかりしていて良い人そうだったからよかったとか、嫁さんの同級生らしき人が綺麗だったとか、北海道から駆けつけた中学の同級生にやっとこないだ彼氏できたと思ったらもう別れててびっくりしたとか、感情の動き的には結構平常運転の式だった。あまりにも友人としての距離が近すぎて、別にいつでも話聞けるし祝えてしまうのも原因かもしれないけれども。

式後、新郎側の友人グループがドッキングして新郎について語る二次会を開催、そこに新郎が合流して三次会、四次会となだれ込んで午前6時に解散、次の瞬間僕は新幹線で帰京といったルートを辿ったのだが、感情的に最も揺さぶられたのが四次会だった。

三次会は、前回の京都訪問で仲良くなった居酒屋の大将と常連のお姉さまに連絡とって、勝手知ったる飲み屋で飲んだ。先斗町の路地の片隅にある小さな居酒屋なのだが、大将が懐深く受け入れてくれた。いつもなら0時に店が閉まるのに2時頃まで付き合ってくれ、次どこかいい店があるかという話となる。常連のお姉様の同級生がやっているバーが良いと、そこでの四次会。

どれだけ注意深く周りを見回して歩いたって見落としてしまうような本当に小さな入り口。ほぼ垂直に見えるほどに気合い入った勾配を湛えた階段を昇った先にある、全部で10畳くらいの小さなバー。大所帯だったはずの僕らのグループはすでに5人編成になっていた。隅っこのテーブル席に通される。僕らを除けば、常連さんは10人くらいなもの。しかし店内はぎゅうぎゅうだった。土曜の深夜だ。さもありなん。

お客さんの多くは、年齢も、性別も、全くよくわからなかった。聞いてみるとママさんが女装家で、似た性癖のお客さんが集まっているとかなんとか。身は男性で心は女性だったり、身も心も男性だけど服装だけ女性だったり、身も心も男性で服装も普通に男性だったり。女性も同様。LGBTだダイバーシティだと声高に叫ばれている世の中で、本当にダイバーシティの高まりを感じる飲み屋だった。ママさんはお酒を作りながらずっと音楽を流していて、常連さん達とのおしゃべりを楽しんでいる。流れている音楽は80年代〜90年代のアニメソングや歌謡曲、アイドルソング。客層ドストライクのプレイリストでお客さんは喋ったり歌ったり好き勝手やっている。圧倒的に色々な人が席を並べる中、同じ音楽に盛り上がる店内。なるほど、インド洋も太平洋も同じ海だもんな、深層海流で繋がっているもんな、国籍や人種や趣味趣向が違っても人間は人間だな。歌謡曲は偉大だな。

とかく生きづらさだとかハラスメントとかの文脈で語られることが多いLGBTだとかその辺の話だ。結構普通に生きているつもりの人が、理解を深めようとか制度を整えようとか躍起になっている。制度化しないと、一般化しないと、社会では通用しないし、全体の利益を考えたら一本線を引かないといけない。ただ、あのバーのように十人三十色くらいのごったごたの中に身を置くと、悩みも人間も個別具体的なものでしかいことがよくわかる。たまたまAの刺激を受けるとBの反応をする人が多いからBが普通となっているだけで、反応がCだろうがDだろうが、ただの反応の違いでしかない。サンプル数を下げまくったりめちゃサンプル偏らせたりして統計がバグった世界に飛び込むことで、反証的に自分が形作られていく気がした。それは中学のクラス内って閉鎖的な空間で人格が形成されていくのとすごく似ていた。出来上がった社会はどうしても出来上がった論理の中で動いてしまっている。「新入社員」とか、「お取引先」とか、それこそ「LGBT」だとか「発達障害」とかって看板を社会から渡され、それぞれがそれぞれに掲げている。それはそれでいい。それでいいから、看板を取っ払った人間ってなんだろうかと考える時間も一方で作らないと、掲げた看板や生きづらさが真実になってしまう。たかだか看板である。それは人格でもなければ、人間じゃない。大きな看板に守られている人も、小さな看板で肩身が狭い人も、看板を捨てたときに残るものが人間だろう。懐の深さとか底の知れなさはきっと看板以外の部分で決まっていく。どうしても日常は社会で回るし、看板を掲げたり背負ったりしながらになってしまうけど、そればっかりだとマジで危ういなと心底感じた。

という、早朝の先斗町。

また何人かと連絡先を交換して、駆けこめる店が一つ増えた。新幹線で2時間とちょっと。バスで8時間。旅行でしかない距離にせっせと飲み屋網を築いてどうするのだろうかとも思うけど、いよいよこうなると休みができたら何の気なしに京都行きたい。過密日程じゃない時にでも。