徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

TikTok沼

出来心でダウンロードしたのが運の尽きだった。Wi-Fiがあるところでは欠かさずTikTokをチェックし、なんならWi-Fiを求めてでもTikTokをチェックするようになった。

TikTokの何がいいのか。面白いとか楽しいとか色々あるだろう。でも、本質はそこじゃない。あれはイケメンと可愛い女の子による僕ら氏がない人間達のための自己顕示欲充足の場なのだ。

哀しいかな、可愛い女の子やかっこいい男の子は実在する。それは奇跡の確率とかではなく、一般的な公立の学校で考えてもクラスに一人二人、学年に二桁数、学校に数十人規模で存在する。容姿と声の大きさと面白さと運動神経の良さが全ての学校生活において、美男美女はそれだけでヒエラルキーの頂点へと上り詰める。面白さはコミュニケーションの数だけ面白さは磨かれ、声を発する数が多いだけ声量は増大する。無限の好循環の起点は、多くの場合で容姿だ。

学校の中だけでマウントを取ってきたヒエラルキートップ連中が、いよいよ大海に繰り出したのが、このTikTok。「おすすめ」に出てくる人気動画の多くが中高生によるもので、もし僕が同級生だったら確実に別世界に住んで居たであろう連中が羽を伸ばして踊るはにかむ。彼らはお互いにお互いを意識する。こんなダンスをしている、あんな振り付けを、あんな笑顔を、あんなあんなアンナエミリア。切磋琢磨である。しのぎを削って鋭利に尖った容姿と動作で、奴らは僕らを殺しにかかる。カメラ目線の向こう側にはこんなこと考えているおじちゃんがいることを知ってかしらずか。

 

15秒。サビもワンコーラスだけの瞬間芸だからこそ、頭がおかしくなりそうなほどに食い入ってしまう。下から上へのスワイプが止まらない。一回りも違う男女にワナワナさせられながら、今日も眠る。

おじちゃんの生きがいを、ありがとう。