徒然雑草

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ゲリラ豪雨の中、傘をささずに15分歩いて感じたこと

本日21時20分ごろ、蒲田駅付近をゲリラ豪雨が襲った。家路についていた僕は、幸か不幸か傘を持っていなかった。その時、コンビニは近くになく、雨宿りスポットもなかった。一瞬、逡巡した。走るか、隠れる場所を探すか…同時に、今日の服装を確認した。着古し目のシャツに、今日誤ってボールペンのインクをつけてしまった白パン、わずか一万円で買ったジャケット。守るものはない。

僕は、濡れて帰ることを決めた。

 

結論から言おう。

僕は皆様に今日の愚行をぜひお勧めしたいと思っている。

水の勢いからいうと、道端の排水溝からハイドロポンプのごとく水が出るレベルの雨である。家についた時点で、服を着たままプールに入り終わった程度の水浸し。パンツから何から、水浸し。それでも、お勧めしたい。

 

濡れ出してからしばらくは、雨は苦痛でしかない。普段を考えてみて欲しいのだが、僕らはことごとく水を避ける。雨には傘、雨天中止、順延。手を洗ったら、ジェットタオル、ハンカチ。体の八割は水だというのに濡れない。だから濡れ出しは苦痛で当たり前なのだ。

でも、諦めの境地に達した時、突如として気持ちは解き放たれる。

雨に濡れまいと俯いていた顔を上げ、猫背になっていた背をピンと伸ばす。さぁ、どんとこい雨よ。俺は腹をくくったぞ。かかってこい、かかってこい!ショーシャンクの空によろしく、雨に向かって叫ぶ、歩く。シャツに雨が染み、色が変わる。下着にも染みる。ズボンは脛と腿にひっつき、パンツまでも雨が侵食してくる。服の重さを痛感しながら、頭上よりのシャワーを浴びる。前髪をかきあげ、メガネを外し、全身を雨に委ねる。

日頃、辛いこととや悲しいこと、不安なことが山ほど転がっているのが現代だろう。目先の人間関係に苦慮している人、目先の人間関係は幸せだけど将来性に不安がある人、家庭が不安定な人、それはもう色々ある。

でもね、ほんとぶっちゃけどうでもいいことですよ、そんなこと。

濡れてみなさい。雨に仕事着ごと濡れてみなさい。

まず、水が気持ちよくなる。濡れることに対して抵抗がなくなり、原初の気持ちよさを思い出す。それは殆どタブーに近い気持ち良さだ。服を着ながら失禁するような、危うさを含んだ気持ちよさ。でも、それが底抜けに気持ちいい。何も考えられなくなる。というか、何も考えるに値しなくなる。ただそこには濡れる自分と雨がある。それだけで、世の中の自分と関係ないことが素晴らしくどうでもよくなってくる。

 

抜本的な解決にはこれっぽっちもならない。雨に濡れたって気持ちよくたって、不安の種はずっとそこにあり続ける。

でも、僕らにとって本当に大切なのはそこの不安の種じゃない。気持ちいいなぁと感じる自分である。雨に濡れている自分と、雨だ。最後はそれでしかない。お金がなくても雨には濡れられる。死にさえしなければ、雨に濡れられる。

 

どんなにいいやつもイヤな奴も、雨には濡れるし、濡れたら気持ちいし、放っておいたら風邪をひく。その程度の人間たちが、僕たちだ。

なんてことはない。ほんと、どうでもいい事ばかりなんですよ、人生。

でも、それでも、守りたいらなきゃいけないものがあって、生きて行くために一生懸命やるのが美しくも楽しいんでしょう。

 

これが、この悟りが、ゲリラ豪雨に濡れた効能でした。

 

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