徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「偉い」とは何か

僕の会社にも、あなたの会社にも、僕が出てきた学校にも、あなたの出自にも、必ず偉い人はいたはずで、偉い人の指差した方向に団体は向かい、団体の方向に否応が無しに進んでいったのが僕らの人生である。少なくとも、あなた自身が偉い人でなければ。

偉い人には偉い人より偉い人がいて、大抵の偉い人は偉い人より偉い人に従っているのだけれど、偉い人より偉い人がいたとしてもやはり偉い人は偉い人で、偉い人の決裁権で結構な決断ができてしまうし、偉い人の価値判断は勉強になる。何しろ偉い人だから。厄介ですね。

 

そもそも会社でいう偉いって何か、立派って何か、出世って何かって、それは一つしかない。会社の偉い人に認められるか否か。ただそれだけである。民衆に支持されたとて、よほどの民主主義でなければそれは通じず、残念ながら基本的に社会は独裁だ。独裁の会社において民主主義は多くの場合で機能していない。労働組合というスーパー組織があるものの、世に言う大企業のみの話。

ぶっちゃけ、偉い人に認められさえすれば自分が偉くなっていける。これには幾多のファクターが絡み合っていて一筋縄ではいかない。一番わかりやすいのが数字である。圧倒的利潤を数年にわたって会社に残した人材はやはり登用されるだろう。だがそこには好き嫌いなんていうめっちゃ面倒臭いファクターも介在する。あいつ嫌いだから飛ばしとこー。なんて偉い人が考えた日には一生世の果てから出てこられない。

だが、会社が本当のところ求めていることって何かって顧客の満足で、顧客の満足が得られるような人間に関しては十中八九利潤が付いて回る。するとどうなるかといえば、本質的に稼げるやつはすなわち会社にとって有用な人間で、そいつの素質はどうあれ、とりあえず登用してみるか。みたいな話になる。

ではその数字が得られないレベルでの登用とは何かといえば、偉い人の好き嫌い以外の何物でもない。端的に言おう、阿呆である。ウルトラCかクズかの二者択一を引いているに等しい。そんなの登用でもなんでもない、博打である。

 

実力があるなら発揮しろ、ないなら好かれてみろ、好かれた先で咲くかどうかはお前次第だ。頑張れ。

 

そんなロジックで回る世の中。無情だなぁと思う反面、自分は割と好かれている側の人間だから余裕あるんだろうなとも思うし、好かれたからこそ目の前に関しては余裕ないし、でも長期的に見たら多分さぞ余裕綽々な感じに見られているんだろうなとも思う。

アップアップガールズなんですがね。

それだけです。勢いです。