徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

マリオカートの思い出

うちの親父はゲームが好きなのだと思う。

若かりし頃は爪先から頭のてっぺんまで麻雀に浸かりきり、最近は文明の利器YouTubeで麻雀の動画を眺め続けている。声を上げるでもなく、黙々と神妙な面持ちで画面を見つめているときは大抵他人の麻雀を眺めていると思っていい。

僕は、麻雀は打てない。けど、親父とゲームはよくやっていた。

小さな頃から家にスーパーファミコンがあった。親父がどうしても欲しかったのだけれど、自分は仕事か何かで抜けられないから、他人を並ばせて買っただかという曰くが付いているスーパーファミコン。今でも実家にあって、僕が帰省した時には幼馴染に等しいほど親しい友人たちとボンバーマンとかで遊ぶ。購入から20年30年経った今でも遊んでるんだから人に並ばせただけあったと思うよ、親父、よくやった。

小さな頃のゲームの記憶は、そのスーパーファミコンに尽きている。親父が持ってたソフトの中にF-ZEROがあって、懸命に操作しようと試みたのだけれど未就学児には極端に難しく、日々日々打ちひしがれていたのをよく覚えている。記憶にある中では最初の挫折を僕はF-ZEROで味わった。

F-ZEROを親父と遊んだ記憶はない。しかし時は下り、ニンテンドー64が出た頃になると僕も物心がつきてきて、普通にゲームができるようになる。誰が買ったか、誰の意見か、全く分からないが、気付いた時にはニンテンドー64とセットでマリオカート64があった。

これを本当に腐る程やった。スパーリング相手は親父である。

レーシングゲームが好きなのかわからないけど、親父にも一定のテクニックがあり、ガキの頃の僕と結構いい勝負をしていた。小学生くらいの子供なんてみんな負けず嫌いである。親父に負けるのが辛くて、負けそうになった瞬間に電源を切るなんていう最強のボイコットをしょっちゅうカマしていた。本当に申し訳なかったと思う。

ゲームキューブが出ても二人でよくマリオカートをしていた。マリオカートをするか、外に出て家の前の通りでキャッチボールをするか。お陰で一人っ子でもそう飽きることなく育ってきたように感じている。感謝である。

 

そうしていま、僕ら一家はボウリングで遊ぶ。いつだって、ゲームが傍にある。

七対子からキャプテンファルコン、マリオサーキットからヘッドピン。脈々と、ゲームをしている。人間と人間をの間に娯楽が挟まると上手い具合に人間関係が回るらしい。

何かの折にニンテンドースイッチでも買おうかと思うけど、多分今の生活にゲームの挟まる余地はなくて、ゲームのために狂ってでも時間を作ろうともしない気がする。手の届く範囲の娯楽を貪っていきたい。

それで、誰かと上手い具合に人間関係が回ったらいい。