徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

作曲のコスパ

今日もまた曲を書いた。

曲が出てくるきっかけというのはわからないもので、たまたまアプリを立ち上げてドラムをドコドコやっているうちにモニュモニュと形になっていった。日頃感じているもろもろを言葉で遊びながら歌詞に乗っけたらなんとなくできた。まだ録っただけで、ほとんど何もいじってない状態だが、弾いたり弾いたり音変えたり歌詞書いたりなんなり、時間にしておよそ4時間くらいかかっている。

コスパとしてどうなのだろうと考える。

休日の過ごし方にコスパもへったくれもないのだろうが、「歌いたいことを歌う」これだけのために相当の時間を突っ込んできた。もっと言えば「書きたいことを書く」ことにも普通じゃない時間を突っ込んでいる。完全に余っちゃってる表現への志は僕の人生を豊かにしているか。誰かの人生を豊かにしているのだろうか。

とかなんとか言いながら、自分のために自分の歌を作り、自分のことを一生懸命に昇華したその結晶はほぼ自分そのものである。どこの誰が歌ったどこの誰の歌には共感しかしないが、自分が歌った歌には100パーセントの同感が生まれる。それは気持ちのいいものである。

スマブラがめっちゃ上手くなるより、手の込んだ料理を作るより、映画を見て心を握りつぶされるよりもなによりも、音楽に乗せた言葉遊びで心情を上手く言い表すことに喜びを感じるタチに生まれ落ち、然るべき育ち方をして然るべき時間の使い方をしている。こういった文章を書いている間も、今さっき作った曲を聴いている。やっぱ完璧に自分のことを歌っている。もうしばらく時間が経つと、自分が作った感覚が薄れてきて、よくわからないけど自分のことをめっちゃ励ましてくれる曲へともう一段昇華されることだろう。実に悪くない。

願わくばもう少し精度を上げたいものなのだけれど。コスパを考えるとそこまで頑張らないのがいいかもしれない。