徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

墓でつかんだ悔しさと清々しさ

墓に沈んでから2日。無事にむくむくと復活しつつある。最盛期でさえ苦手だった長距離走は、心肺機能さえも低下している現在、素人以下の代物と成り果てていた。僕の一生懸命は、大多数のジョギングだった。悔しい。無力さと惨めさに打ち拉がれながら大の字に寝転んだ日産スタジアムのタータンの上。楕円に広がるスタジアムの屋根から覗く快晴。久しぶりの清々しさを感じたのもまた事実だった。エンジンも小さくなり、給油もできなくなった身体は、昔よりも早くに限界を迎え、昔と同じような苦しさに襲われ、北見のグラウンドで、北見の坂道で、網走のグラウンドで、八幡山のグラウンドで、高尾の山の上で、あの頃感じたのと同じ風に吹かれた。苦しみさえ簡単に感傷に変わる、安い感受性を持っていてよかったと、心から思った。

走る頃が目的にならずとも、あの風に吹かれることは目的になるかもしれないと思っている。来年リベンジしたい気持ちもある。長距離走が得意になってみたい気持ちもある。けど、身近に目標もないし、自ら率先してエントリーするほど好きかといえば、本質的に長距離は好きじゃない。だけど、あの苦しさの先の世捨て感は大好きだ。今世界が終わっても別に構わないと思えるような、苦しさと清々しさ。それだけを目的に走るのも悪くないかもしれない。

世の中、大の字で寝転べるような場所も少ない。どこか公園で寝そべったって変な人である。かといって競技場に行くにも近くにない。どうするかはアレだけど、細胞レベルで感じられる気持ちよさを追いかけてみようと思う。

つって、今日はひどい雨でしたね東京。昼過ぎからの清々しさは見事なものでしたが。

次の晴れの日、次の晴れの日を狙って。