徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

大船渡高校と佐々木朗希について思うこと

たった一つの高校と1人の岩手の高校生がこうまで話題になるんだから、やっぱり日本も平和な島国だなぁと思う。

 

超高校級の投手、佐々木朗希率いる大船渡高校が、甲子園まであと一勝のところで敗れた。決勝では大敗を喫したのだが、その一番の原因としてあげられているのが、エース佐々木を決勝で温存したことである。故障で登板できない状況だったわけではなかったようで、疲労や違和感、将来に膝が摩耗しないようになど、佐々木の状況を総合的に加味して、監督が判断したとのことだ。

佐々木が出ていたら大船渡は決勝に行ったんじゃないか。出さないで負けるなんてことがあるか。

高校には佐々木をなぜ出場させなかったか問い合わせる電話が無数にかかっているという。そんなことあるかと思うけど、国技にも似た野球、それも、地元愛と青春が絡まりあった高校野球のこととなると、いてもたってもいられなくなるのだろう。

 

種目は違えど、僕も一生懸命高校時代に部活をやった。この、佐々木を出すべきだったか問題について、同様の熱い思いを18歳あたりに置いてきた人とひとしきり話したい気持ちでいる。

 

なぜ佐々木を温存したか

投手の肩と肘は消耗品だからだ。投げれば投げるだけ肩はすり減る。どんな優秀な投手でもそれは変わらない。完投をさせないとか、球数制限をするとか、日本球界でもだいぶ浸透してきている一連の考え方も、 投手の消耗を抑えることが目的だ。

一方、特に投手を酷使するのが、高校球界だ。

地区大会、県大会、甲子園。何試合も短期間で消化しなければいけない過密日程の一方、選手層は薄い。勝ち上がっていくには1人のスーパースターに頼らなければいけないことも多々ある。そして大概、スーパースターは投手だ。打者は多くて5回しか打席が来ないが、投手は毎回出番がある。投手が打たれなければ、負けない。結果、スターたちが一夏に猛烈に酷使されていく。

高校野球で大活躍した選手は、プロやメジャーで活躍する可能性がある。高校球界の至宝が、野球界の至宝、世界の至宝になっていく。はずなのに、高校時代の格差が原因で息の短い選手になってしまうなど、元も子もない。

佐々木もそうだ。18歳で163キロを出すなんて世界でも稀に見る逸材。ここで摩耗させるわけにはいかない。そう、監督は判断した。

 

なぜ佐々木を温存してはいけなかったか

この問題のミソは、「佐々木が投げたら勝てたかもしれない試合」に「理由はどうあれ出さない判断を下した」ため「敗れ」、「チームが甲子園に行けなかった」ことにある。

仮に佐々木が投げなくても勝てる試合だったらここまで問題は大きくならなかったろう。佐々木が投げたって勝てっこない試合だって同様のはずだ。今回は、投げてたらもしかして…と思わせるほど、佐々木の力が圧倒的だった。

出さない判断を下したことは先述のとおりだし、もし勝っていたら何一つ問題にもなり得なかった。

最後の部分。チームが甲子園に行けなかった。ここが重い。あらゆる判断を狂わせる。

佐々木の肩に18名のメンバー、それ以上の数の部員、保護者、生徒、学校関係者が乗ってしまっていた。1人の話じゃない。さらに、甲子園の神格化。インターハイではなく、甲子園。土にすら意味が生まれてしまうグラウンドだ。全高校球児が夢を見る舞台に爪先がかかっていたのに…なぜ…という感情が渦巻いている。

 

僕の結論

投げさせるべきだったとは思わないが、僕が監督だったら投げさせてしまっていただろう。

一歩引いて、野次馬として見ているだけであれば、佐々木の将来を考え、引いては高校球界のあり方(過密日程とかの是正)に一石を投じているとも見える大船渡高校野球部監督の判断は英断だったとも思う。しかし、3年間一緒にやってきた仲間たちと甲子園に行きたいとの思いは監督にだって当たり前にある。いざ自分がその立場になった時、それを抑えることができるか。難しいと思う。

佐々木のチームかもしれないけど、佐々木だけのチームではないのだ。あまりにたくさんの人の思いがそこにある。

部員の思いはどうなのか。甲子園に行きたかったろう。少なくとも、甲子園をかけた舞台で、やれるだけの戦いをしたかったろう。感情は流れていく。今どれだけ虚しさを覚えていても、いつかはどことなくいい思い出に変わっていくはずだが、たとえ、多少美化されても、消えることはきっとない。

そこまで考えた時、至宝の肘にプライオリティを置けるか。サンデル先生の授業かよと思う。僕は、きっと佐々木に投げさせてしまう。

 

とはいえ、今回あまりに特別な投手がいたからここまでの騒ぎになっているが、もっとミニマムな同様の事象は野球に限らず起きている。陸上だってある。400を一日4本走って肉離れギリギリだけどマイルの準決はお前がいなきゃ通らない。走りますか?どうしますか?みたいな話だ。顧問はまじで悩むだろう。

開き直ってしまえば、基本、どのチームも負けるのだ。負けてなんぼが高校スポーツ。負けたら「たられば」が必ず出てくる。「たられば」に苦しむけれど、しばらくしたらそれすらも酸っぱくてなんとなく美味しい味になっていくのもまた、高校スポーツだ。

今回、佐々木が投げたら、「たられば」が少ない結末となったと思う。けれど、そうしたら佐々木が壊れたかもしれないのも事実。「もっと序盤で温存できたら。」「佐々木に頼らないでも勝てるチームを育成できていれば。」

そんな、「どっちも正解の苦渋の決断」をさせないよう、建てつけを考えるのが高野連然り、全体を統括している連中の仕事である。が、球数制限をしたら選手層が厚い私立ばっかり勝っちゃうだろうし、過密日程を緩和したら教育委員会との折り合いたつかないとか、色々あるだろうが、うまくやっていってほしいですね。

 

しかし、正解はない判断だったなぁ。やっぱり。

東京で一人、悩んでいます。