徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

空腹に生かされる

腹が減っては戦はできぬが、満腹も罪だ。最近ことに感じる。

仕事で遅くなる夜。昼ごはんから10時間ほど離れ、胃袋は猛然と唸りを挙げている。そんな家路には自然と歩くのが早くなる。家に行けばご飯がある。家に行けば暖かい。家に行けば、、、ゴリゴリと歩いていくと、やはり、血が回りだす。歩くリズムも小気味いい。これは、すごく、気分がいいぞ。と、テクテクテクテクやるのだが、それも胃袋に物を入れるまでのわずかな間のことでしかない。食後、胃袋に血が入ってしまったが最後、あらゆるやる気と気分は胃袋に召し取られ、なんのことはないただ疲れたお兄ちゃんが一人、出来上がる。

 

考えてもみよう。

僕らは、生きるために存在している。いくつかの内臓も、生きるための活動を行っている。それも無意識に動いているとなると、無意識に生きているわけである。僕たちは。

空腹は、胃袋から出されるエネルギー不足のサインだ。もっと燃料を、燃料を。無意識に生きようとしている僕たちが、より真剣に生きようとしている状態、それが、空腹だ。遥かな先祖たちは空腹のサインを元に必死にその日のご飯を探し回ったのだろう。空腹に突き動かされ、考え、木のみを割ったり火を使ったりしたに違いない。

 

AIがなんだ、生産性がなんだといえど、僕たちは所詮ネズミの一派でしかない。自らの空腹に嶄然たる事実を突きつけられる。が、人類の進化をもたらしたであろう空腹を前にしたところで、一介のサラリーマンは歩調が軽快になるくらいしか効能がないのであった。

晩ご飯はカップ麺でした。おいしかったです。