徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

線路と障害物

朝、電車に乗って出勤する。改札口の都合上、僕が乗るのは先頭車両だ。世に言う出勤ラッシュから少し遅れた時間が出勤時間であることと、下りの電車で出勤するため、比較的座って出勤ができる。車両のなかでどこに座るかは日によりけりだが、もし一番前の席が空いていれば、そこに座るようにしている。夏休みの少年がガラスにへばりつき、車掌さんの一挙手一投足に注目するような、あそこまでの熱量ではないが、先頭の眺めはとてもいいものである。

線路の上には、遮るものがない。どんな住宅街でも、山でも海でも、線路上に障害物はない。車だって、余程の田舎じゃない限りは前後に車両がある。普段の生活で、視界前方進行方向になにも遮るものがない状態なんてそうそう巡り合わないだろう。

社会だってそうだ。特に最近の業務なんて、向かう先障害だらけである。誰を仲間にして障害を越えるか、いっそ越えないでかわすか、、、みたいなことをずっと考えている中で、障害がない景色が妙に新鮮に映るのかもしれない。

思えば、トラックレースには障害がなかった。ハードルをやってたから障害だらけのトラックレースをしてきた競技人生だったのだが、動く人、ものは自分のレーンで自分だけだった。先頭でゴールできたら、少なくとも最後の数メートル、数十メートルの間で視界の中で動くものは自分だけである。最高だったな。

 

先頭車両の一番前の席に乗ると、今の立場と過去の思い出がないまぜになってとても芳しい気持ちになる。特に左に緩やかにカーブしていくルートなど、そのままトラックレースとフラッシュバックする。もっと、もっとこのスピードのまま進んで行きたいなぁと思う頃には、降車駅がきて、社会の障害物競走に入り込んでいくのである。

前を見ながら身を憂いて過去を振り返っている場合ではない。

進め、進め。

 

さぁ、本年も働きます。

 

今週のお題「2020年の抱負」