徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

向かいのマンションのおっさん全裸事件

人が密集しているで噂の東京。アパートマンションが所狭しと軒を連ねる。

我が家も住宅地の中にあって、区画の中だけでも5棟ほどのマンションが建っている。さして大きくはないマンションだが、何百人という人の生活がひと区画に詰まっている。

 

僕の部屋の向かい側にもマンションが建っている。お互いのマンションのベランダが向かい合っているため、基本的にカーテンを閉めていないと覗きたい放題の覗かれたい放題となる。

ラブコメとかだと、向かいの家に住んでいる男女が男女して男女になって男女へと発展して行くお話が展開されるところだが、現実はそう上手くはいかない。僕の部屋の真向かいに住んでいるのは立派なおっさんだ。

 

いつか、いつかこんな日が来るのではないかと思っていたのだが、見事予感は的中てしまった。

洗濯物を取り込もうとカーテンと窓を開けた先、全裸のおっさんが佇んでいた。

 

あぁ、おっさんだ。素っ裸のおっさんだ。

マンション同士、そこそこな距離があるから顔もわからない。駅ですれ違っても全くわからないレベルの距離感。でも、そこに素っ裸で立っている。毎日顔をあわせる同僚たちの素っ裸も見たことないのに、家が向かいなだけで全く知らないおっさんの素っ裸がそこに。

僕は、どう受け止めたらいいのだろう。

教えてやるわけにもいかず、見つめるわけにもいかず、すっとカーテンを閉めて時が過ぎるのを待つ。おっさんの気づきを待つしかない。夜半、室内が明るいと外から丸見えになるのを知らないはずがないのだ。何しろ彼はおっさんである。不意に認めてしまったシルエットも、完全におっさんのそれであった。ベテランの腹、熟練の毛。だから早く気付け。気付いてくれおっさん。

 

しばらくして開けた窓には、カーテンが閉まっていた。奥から漏れる光。あの光の奥に住むおっさんの素っ裸を、僕は知っている。

なんだこれ。なんなんだこれ。

それだけです。

ゲリラ豪雨の中、傘をささずに15分歩いて感じたこと

本日21時20分ごろ、蒲田駅付近をゲリラ豪雨が襲った。家路についていた僕は、幸か不幸か傘を持っていなかった。その時、コンビニは近くになく、雨宿りスポットもなかった。一瞬、逡巡した。走るか、隠れる場所を探すか…同時に、今日の服装を確認した。着古し目のシャツに、今日誤ってボールペンのインクをつけてしまった白パン、わずか一万円で買ったジャケット。守るものはない。

僕は、濡れて帰ることを決めた。

 

結論から言おう。

僕は皆様に今日の愚行をぜひお勧めしたいと思っている。

水の勢いからいうと、道端の排水溝からハイドロポンプのごとく水が出るレベルの雨である。家についた時点で、服を着たままプールに入り終わった程度の水浸し。パンツから何から、水浸し。それでも、お勧めしたい。

 

濡れ出してからしばらくは、雨は苦痛でしかない。普段を考えてみて欲しいのだが、僕らはことごとく水を避ける。雨には傘、雨天中止、順延。手を洗ったら、ジェットタオル、ハンカチ。体の八割は水だというのに濡れない。だから濡れ出しは苦痛で当たり前なのだ。

でも、諦めの境地に達した時、突如として気持ちは解き放たれる。

雨に濡れまいと俯いていた顔を上げ、猫背になっていた背をピンと伸ばす。さぁ、どんとこい雨よ。俺は腹をくくったぞ。かかってこい、かかってこい!ショーシャンクの空によろしく、雨に向かって叫ぶ、歩く。シャツに雨が染み、色が変わる。下着にも染みる。ズボンは脛と腿にひっつき、パンツまでも雨が侵食してくる。服の重さを痛感しながら、頭上よりのシャワーを浴びる。前髪をかきあげ、メガネを外し、全身を雨に委ねる。

日頃、辛いこととや悲しいこと、不安なことが山ほど転がっているのが現代だろう。目先の人間関係に苦慮している人、目先の人間関係は幸せだけど将来性に不安がある人、家庭が不安定な人、それはもう色々ある。

でもね、ほんとぶっちゃけどうでもいいことですよ、そんなこと。

濡れてみなさい。雨に仕事着ごと濡れてみなさい。

まず、水が気持ちよくなる。濡れることに対して抵抗がなくなり、原初の気持ちよさを思い出す。それは殆どタブーに近い気持ち良さだ。服を着ながら失禁するような、危うさを含んだ気持ちよさ。でも、それが底抜けに気持ちいい。何も考えられなくなる。というか、何も考えるに値しなくなる。ただそこには濡れる自分と雨がある。それだけで、世の中の自分と関係ないことが素晴らしくどうでもよくなってくる。

 

抜本的な解決にはこれっぽっちもならない。雨に濡れたって気持ちよくたって、不安の種はずっとそこにあり続ける。

でも、僕らにとって本当に大切なのはそこの不安の種じゃない。気持ちいいなぁと感じる自分である。雨に濡れている自分と、雨だ。最後はそれでしかない。お金がなくても雨には濡れられる。死にさえしなければ、雨に濡れられる。

 

どんなにいいやつもイヤな奴も、雨には濡れるし、濡れたら気持ちいし、放っておいたら風邪をひく。その程度の人間たちが、僕たちだ。

なんてことはない。ほんと、どうでもいい事ばかりなんですよ、人生。

でも、それでも、守りたいらなきゃいけないものがあって、生きて行くために一生懸命やるのが美しくも楽しいんでしょう。

 

これが、この悟りが、ゲリラ豪雨に濡れた効能でした。

 

誕生日をサプライズでお祝いしてもらって

昨日がそれでした。

親しい友人より「内房に遊びに行く!」という、わかるようなわからないような名目のもと、訳も分からず連れ出されたと思ったら気づけばそこはディズニーランドで、現地では来るともなんとも言っていなかった友人が待機していた。ザ・サプライズ。

ディズニーのチケットが誕生日プレゼント。楽しく遊ばせていただいた。

素直に、僕の誕生日を祝いましょうとの声かけで集まってくれた人たちにありがとうの気持ちが溢れている。企画をした人も、企画に乗った人も、ありがとう。まじでありがとう。日常を崩して、休めるはずの休日に出てきてくれるその気持ちに、ありがとう。


そう、日常である。

悲しいかな僕らには日常がある。これまでもこれからも。

子供の頃の日常は、生まれた場所に大きく左右されていた。都会と田舎、兄弟の有無、親の人間性。ありとあらゆるランダムが重なった上で、幼少期の日常がある。それは僕らの手でどうすることもできないものだ。物心ついた時からの環境だからこそ、余程のことがなければ何も考えずに暮らせてしまう。

しかし今になっての日常は違う。

自分で選びとったからこそ強く拘束される。方や、自分で選びとったからこそ簡単にやめられる。自己責任を迫られる中、多くの場合では前者だ。

日常と生活とお金が密接に関わるからこそ、日常は経済活動化する。つまり、生活の中で仕事が大きなウエイトを占めだす。時間的にも、気持ち的にも。


だから嬉しい。

自分の誕生日という酷く個人的な事情で、日常を崩そうとしてくれる人がいることが、何より嬉しい。心に余裕がある人たちの友達になれてよかったと思うし、だから自分も心の余裕をもって生きたいなと思う。

価値観が近く、話しが合う友人にたくさん巡り合って生きている。なんと幸せなことでしょう。


ほんと、ありがとう。

ロックな生き方・ヒップホップな生き方

あの人は最高にロックに生きている。

お前の生き方はヒップホップじゃないんだよ!

 

音楽。そこには人生が滲み出る。ある意味音楽とは人生を切り売りしているに等しい。表現をするには非常な苦しみが伴うし、苦しみ抜いて出てきた作品は我が子のように可愛い。誰かに共感されれば天にも昇る心地で、貶されたら串刺しにされたも同然の痛みを感じる。

以上のようなバックグラウンドがあるためか、とかく音楽業界では生き様を音楽に喩えがちである。

というか、生き様を音楽に喩えると通っぱく見える。

 

清志郎ほどパンクに生きた人はいない。

ノエルとリアムのドライな間柄こそロックだ。

 

わからないではないんだ。雰囲気はわかるんだけど、冷静に考えてロックな生き方ってなんだよ。わかんねぇよ。

フリースタイルラップ等々でリズミカルな罵り合いを夜な夜な続けているラッパーの皆様も、「お前は全くヒップホップじゃない。ポップだ。」みたいなことをパンチラインにしてる。すると、お客さんが狂ったように沸く。「そうだそうだポップだ!お前なんかヒップホップでもなんでもないやい!」ということなのだろう。ここでも冷静にみると、「(お前の人生は)ヒップホップじゃない、ポップだ。」が果たして悪口なのか、そもそも意味が通っているのかわからない。でも雰囲気で沸いちゃう。

ロックならロック、パンクならパンク、ヒップホップならヒップホップの概念があり、それに則った生き方ができているか否かがポイントなのだろうか。はたから見ていると、才能溢るる新進気鋭のアーティストが退廃的な生活に溺れ行く中できら星のような作品を残して死んでいけば全部ロックだしパンクだしヒップホップに見える。穿った見方をしすぎでしょうか。

 

ロックな生き方・ヒップホップな生き方がある中で、ボサノバな生き方って全然聞かない。というか、想像もつかない。地元をレペゼンしながらビートを乗りこなすのがヒップホップ。じゃあ、ボサノバとは。エゴラッピンのボーカルとかがボサノバな生き方してそうだけど、印象操作に引っかかってる気がする。

 

まぁなんだ、生き方が形容されるほどの人生を生きてみたいものである。

早起き

そもそも朝が強いタチである。生育歴がそうさせるのか血圧が高いのかはわからないが、布団のうえに一分一秒でも長く居たい思考は皆目無く、日中眠くなったとしてもガンガン起きていたい。

この傾向が異動してからというもの特に進行している。

大きな変化として、勤務がシフト制から一直の勤務になったことがある。

これまでは頻繁に出勤時間が前後していた。朝が遅い日があれば、朝が早い日もあった。シフト制の方が辛いような印象があるかもしれないが、遅番の朝の余裕がたっぷり持てる感じがとても好きだった。一方で遅番で帰って翌日早番だと確かに時間はないのだけれど、飲んで帰るとすると時間なんてあってないようなものだったので、全く悪くはなかった。遅番時の朝時間isプレシャス。

今、勤務は早い時間に固定され、なんとなく夜に余裕ができている。一方で、朝の余裕はなくなっている。

朝の時間isプレシャス的考え方が、想像以上に根底に根付いていたようで、出勤時間が早い時間で固定されたところ、勝手に起床時間も早くなっていっている。5時台に起きる。至って普通のおじちゃんだ。ZIPを頭から見られてしまう。

日々日々慣れないことが多いから起床時間でせめてもの余裕を持とうと体が頑張っているような気もしている。いいところなのか悪いことなのかわからないけど、さして飲み込みがいいわけではないくせして、物事を飲み込み切らないまま動くことに強いストレスを感じてしまう。飲み込み切ったらグイグイ乗って行くんだけど、そこまでが長い。朝の時間を使って飲み込めってことなんですかね。

これで寝られないなんてなってくると心配極まるところだが、悲しいかな至極健康なようで夜は即寝する。ヘルシー極まっている。

 

慣れるまでの早起きとなるのか、それとも普通にこの時間に起きるのが習慣となるのか。どっちに転んでもいいですね。神のみぞ知る。

I need you to ree

あの、なんというかこう、頑張るとかちゃんとするとかそういうのって、とかくきっちりしなきゃいけないとかしっかりしなきゃいけないとかって方向に向かうことが多くて、そうするとゆとりがなくなるわけですね。

きっちり・かっちり・しっかりなどの、せっつかれてる感じの単語に四方八方を包囲されている状態が、ゆとりのない「忙しい」であるとすら定義できるのではとも思います。

ゆとりを生む方法は多分いくつかあるとは思うのですけれども、多分一番大きいのがルーティン化だと思います。赤ちゃんは何一つルーティンじゃないから生きることに懸命だし、車の運転がルーティンになってない人は運転したくない。運転したところでおっかなびっくりドライブ。しかし一度ルーティン化してしまうと驚くほど楽になるのは誰もが自明なことでしょう。そのためには苦しくても習慣として何度も何度も繰り返す必要があるのも、お判りかと思います。

ルーティンになっていない時、心はいっぱいいっぱいです。何から手につければいいのか、何をするにも慣れない。そう、やはりゆとりがないのですね。このゆとりの足りなさが、あらゆることを悪い方向へと向かわせます。思考も、行動も。ある種、幼児のヒステリックは当たり前のことなのでしょう。上手くやりたいのに上手くいかない。伝えたいのに伝えられない。そりゃあイライラもするだろうし、自らの無力感に打ちひしがれる。その上適当にあしらわれた日にはヒステリックにもなろうよ。シンパシー。

幼児たちが強いのは、どんな無力感にも立ち向かっていくんですね。めげない。めげるけど、立ち上がる。諸々事情はあるでしょうが、個人の趣向から立ち上がるのを諦めた赤ちゃんはいないでしょう。わからんけど、ほとんどいないと思う。他に発散する方法を知らないんでしょうね。愚直に立ち向かう。一方大人は小賢しいものです。発散を知っているから、発散しなきゃゆとりを持たなくなる。倒れて起き上がるだけなのに、起き上がれなくなるから、発散したがる。なんと情けなくなったものなのでしょうね。


こうしてですます調で書くと、ほんの少しゆとりが生まれた気もします。優しくなれますね。優しくなりたいですね。人間同士お互い余白を用意して、人付き合いしたいものです。

町内会のお祭りの思い出

吹いて来る風を探せば秋の風を見つけられなくもないけれど、東京の夜はまだ夏だ。熱気と湿気は未だ健在で、肌とシャツやズボンをひたひたにくっつける。全くもって不快である。

駅から家までの帰り道に少し大きめの公園がある。遊具いくつか置いてなお、走り回ったり簡単なサッカーができるくらいの公園だ。ベンチに当てどないおじちゃんが座っているトイ面で子供達が駆け、保育園児の集団が遊具に絡まりつく。公園ではそんな日常が流れている。

 

今日は僕は結婚式に出席していた。よく髪を切ってくれていた美容師さんの結婚式に、お客さん仲間と共に参加してきた。両家同士が仲良くて、二つの家がくっつくことが結婚なんだなぁと改めて考えさせられた。

挙式、披露宴、二次会と一日中酒を飲んだものの珍しく早く解散し、最寄駅に着いた。酒を飲むのは楽しいが確かに疲れる。今日なんかは新郎新婦それぞれの友人が出席者の殆どで、お客さん枠では僕含め数人しかいなかった。アウェイな中でも楽しくやったがやはり酒は不可欠で、気疲れと飲み続けたための疲れがジリジリと迫っているのを感じながらの家路であった。

公園に近づく毎に子供の声が聞こえてきた。

お祭りをやっていた。

具体的に何のお祭りかはわからない。けど、普段はあまり見ない数の人が公園におり、子供達はそこかしこで花火をしていた。夜には不釣り合いな甲高い子供の声が響く公園を通りすがりながら、ふうっとフラッシュバックしたのが、地元の町内会のお祭りの光景だった。

 

僕が住んでいた町内会では、毎年夏に公園で焼肉パーティーをやっている。

北見市は焼肉が盛んで、人が集まるとか宴会といえば何かと焼肉パーティになる。もれなく町内の集会でも焼肉。今となっては町内会員の減少と高齢化で日中の宴会になったのだが、15年くらい前までは夜の宴会だった。

真夏の日曜日、町内のお父さんたちがテントを設営する。瓶ビールが入っているケースをひっくり返した上にダンボールを敷いて椅子を作り、グリルを並べる。その間、お母さんたちは豚汁を作る。

子供達が焼肉パーティーをどう見ていたかといえば、一年に一度、一日中遊んでも許される日だと捉えていた。親たちが日中から会場設営に躍起になり、夜は宴会に夢中になる。その間子供達はいい意味で放って置かれる。焼肉も豚汁も楽しみだったけれど、日中から夜までずっと遊んでいられるのが何より楽しみだった。

誰かの家に集まってテレビゲームをしたり、外に出て鬼ごっこをしたり。普段は帰らされる夕暮れから夜にかけては町内で肝試しをする。同じ公園、同じ町内でも、夜になっただけで見たことのないものになったみたいでワクワクしたものだ。

 

本格的な少子化が始まる頃に生まれたような僕らの世代。町内の公園に行ったら誰か彼か友達がいて、焼肉パーティーの日には揃って夜遊びをする。一人っ子の僕は多分あの町内の付き合いを通して社会性を学んだ。子分としてくっついていった頃から、次第に親分になっていく過程。遊びを通して、人との付き合い方を知った。

もうなくなりつつある光景や文化なのかもしれないけれど、東京の公園で元気にお祭りの夜に遊ぶ子供達と横で飲む大人たちを見て、どこか懐かしい気持ちになった。

そういった感想を抱いた家路でした。

木を見て森をを類推す

異動後2日経ってどうかというと、わからないonわからないである。今自分が全体のどの辺りに位置しているのかが分かりかねており、これがわからないことによって一抹のストレスを抱えている。

悲しいことに、僕は小賢しくなってしまった。何をするにも意味を求めてしまう。

これ、なんのためにするの?これ、なんにつながるの?黙ってやれと言われればそうだ。しかし、黙ってやるにも道理があるだろう。なんでやるのかがわからないと自分の袖の振り方もわからないというものではないか。

一方で、写経とか多分こんな気持ちなんだろうなと感じている。

あのわけのわからない南無阿弥陀仏の文字列をやはりわけもわからず不乱に書きなぐる。意味があるのか、ないのか。何を伝えたいのか、伝える気があるのか。むくむくともたげる不安の類を押さえ込んだ先、何かの意味を見出す。やったことないから見出せるかわからないけど。

でも多分御託は抜きで黙ってやる愚直さも必要なのだろう。訳は後からついてくる。いくつもの木を見つめ続けて、森を類推するような日々をまた送る。

異動初日の叫び 〜能力とは〜

本日初出勤でした。

哀しいかな同部署の同担当職務の方々は繁忙の刻を迎えており、僕は海のものとも山のものともつかないけれどもボスボス飛んでくるメールに対して、他人のメールフォルダを盗み見ながら「海のものっぽいですね、海のものでいいですよね?じゃ、刺身包丁で料理しますよ…?」っておっかなびっくり対応を重ねた。多分うまくニュアンス伝わらないと思う。

異動すると、真っ裸になる。

これまで来ていた身ぐるみを剥がされ、真っ裸で放り込まれた先には見たこともない身ぐるみの人たちが生息している。早くその身ぐるみを着たいなぁと思いながら、3ヶ月もすれば新しい身ぐるみに包まれて仲間に入る。この3ヶ月が組織を変えるチャンスであるとか美しいことをいう人がおるが、そもそも組織をかえる道具を持たない素っ裸の人間がどうしろと。みたいな卑屈な気持ちがむくむくと首をもたげなくもない。

ちょっと、一回整理しようぜ。

能力ってなんだよ。

 

対人技術

異国の地に行っても生きていけそうな奴って、周りに一人二人いるだろう。そいつらが優れているのが、この対人技術だ。なぜか人の懐に入るのがうまかったり、嫌味なくお願いできたり、どう言うわけか可愛かったり。逆に人見知りとか、あがり症とかは対極に位置している。

これ、天性のものなんじゃないかと思われがちなのだが、本当に天性のところと天性じゃないところが存在する。

例えば顔立ちは天性マターだ。目がクリクリしているとか、広角が上がり気味とか、些細なところから人に好印象を与える顔立ちに生まれている人は実際にいる。前世で相当な徳を積んだのでしょう。羨ましい。他にも人との距離感をつかむ(空気を読む)ことに関しては卓越した技術があるとかは、ある種の天性かもしれない。

対して声色とか、雑談する力とかは後天的マターである。勤めて明るい声をだしたり、世の中の動向にアンテナ張り巡らせたり、適当に話を合わせたり。これは訓練でどうにでもなる事象だ。

異動や転職において誰も知らない場所(既存の人間関係が構成されている場所)に飛び込んだ際、最も必要になるのがこの技術で、逆に日が経って人間関係の中に取り込まれると次第に必要なくなってくる。

 

業務技術

箇条書きにして履歴書に書きやすい技術たちである。

TOEICの点数や資格の類はもちろん、もっともっと瑣末な、電話対応・エクセル・資料作成など、勉強や職務経験の中で身につけた技術だ。

エンジニア界隈における同業種転職の時なんかは全部業務技術ありきなところがあるように思う。どの言語が書けて、機械学習をやらせることができて…って持っている技術を抱えながら転職する。即戦力。素晴らしい。

逆にスキルアップやらキャリアアップを目論まれた人事異動においては、この部分は皆無となる。ゼロベースからのスタートなので、相当気合がいる。わからないままわからない沼に突っ込んで行って、わからない!って叫び散らかして家で勉強するみたいな毎日が幕をあける。

 

飲み込み

業務技術が既に身につけている技術だとすると、新しい技術を取得する際に必要なのが飲み込みである。

全くもって理解できないんだけど、世の中にはマジで一を聞いて十を知ってしまう人がいる。なんだこいつとしか思わない。僕もたまにマネしたくて超予習してスター状態のまま説明を聞いて、超飲み込みのいい人を演じるんだけど、演じているだけなのですぐ化けの皮が剥がれる。辛い。

これ鍛えることができんのかなぁって考えるけど、多分その辺りは以下の経験と密接に関わっている。

 

経験

業務技術・飲み込みと相当近い領域の能力だが、多分別物。

経験は業務技術や飲み込みの下地となっていて、超個人的かつ超個別の体験のことを指している。

「いい加減信頼関係を築いたと思っていた取引先から300万の手形で仕事を受注したが、取引先が倒産したため不渡りとなった。あの経験があるから大変慎重に商売を進めるようになっている。」とか。「前職でクレーム対応を死ぬほどやってきたのと、企業の決算書を読むのが趣味だったから、ラインじゃないけど偉い人に激詰めされてもなんとかのらりくらり対応できる。」とか。

応用力と言った方がいいかもしれない。

全くもって形をなさない経験ではあるものの、仕事上相当効いてくるし、本質的な仕事をすればするほどこの経験が応用できるようになってくる。経験だけで生きられるようになったスーパー妖怪が、新浪剛史みたいなプロフェッショナル経営者だ。どうかしてる。

 

価値観(性格傾向)

価値観は、職務の中で上記の能力がどのように発現するかを左右している。

「超人当たりよくてバッキバキに収支見られて資料作れて、一を聞いたら三億くらいを理解してめっちゃ応用利くけど、ポケモンが大好きでゲームを片時も離さない。」こういう人多いと思うし、こんな極端じゃなくてもそれぞれ特有の価値観を持っていて、仕事にも私生活にも多大な影響を及ぼしている。

この価値観が仕事むき(前向き?)だと、初期能力が雑魚雑魚でもそのうち戦えるようになってくるし、たとえ能力者だとて全くもって誠意が見えないぺんぺん野郎だと能力発揮をすることなく穀粒しに成り果てるから今すぐ失せてしまえ。

他にも、あまり人の目を気にする事なく仕事ができるとか、マイペース、せっかち、図太いなどという性格傾向も大きく影響する。人間関係の相性にも、飲み込みの良し悪しにも関わってくる。互いに有機的に機能しあっている。

 

 

 

 

会社が提示する能力開発とか評価基準って、どうしても職務の遂行状況に関わってくる。でも、職務の出来って組織の出来にも関わってくるところがあるから、純粋に人を評価しているかといえばそうじゃない。では自力とは?本当の能力とは?会社が提示してくれないんだったらどこかに助けを求めるか、自力で考えるしかない。そういうわけでだだだーっと列挙した。

もうちょっと考えたらまだいくつかの項目が出てくるだろうし、それぞれ細分化していく必要もある。

でも。この漠然とした無力感と不安を取り除くためには慰め程度の分類を書きなぐったでも十分効いた。これ出来てるな、これが問題だなって、誰も教えてくれないからな。

まだまだ道は続きますが、辛くなったらまた細かく細かく噛み下いて自分を見つめたい。以上、異動初日の叫びでした。

こんな日ですが誕生日なんですよね

昨日の最終便で北海道を擦り抜け、仕事への期待と不安と憂鬱、東京の気候への憤りを抱えながら夜更かしもそこそこに眠りについたのだけれども、知らぬ間に北海道全体がえらいことになっていた。

誕生日の朝、起きたらみんなからたくさんの連絡が寄せられており、それら全てが安否の確認だった。ご心配いただき、ありがとうございました。心配をよそに丸26年、生きております。しかし、北海道。平気で知り合いがゴロゴロいるあたりの地域の地面が根こそぎひっぺ返されていたりして、全然笑い事じゃない。実家は強固な地盤で噂のオホーツクは北見市なのでほとんど揺れていないのだけれど、例に漏れず停電しているようである。携帯も繋がりにくい。声をかける心配や見守る心配、情報の提供や物資や資金面での支援。色々形があるようですが、僕は文章を書きます。給水、充電、通電とTwitterで有益な情報が飛び交う中、誰にとっても益にならない情報が一滴落とされてもいいのではないか。これしかできない。

 

さて、誕生日の夜なのだが、ここ最近の喧騒が嘘のような静かな夜である。テレビを消し、スマホとおさらばしてしまえば、そこは僕だけの空間となる。アマゾンで買った漫画を読み、電子ピアノを買ったために大金を迫られたカード支払いのせいで口座残高が空転しているのを儚みつつ貯金を崩し、貯金を崩したからにはとピアノを叩いて曲の破片を集めては形にする。連休前から連休突入まで、ずーっと酒を飲んでは誰かと会ってきた。心の底から望んでいたのは確かにこういう1日だった。ぽっかり空いた誕生日プレゼント。しかし不思議なもので、人と会い続けると人中毒になる。薬物がなかなかやめられないように、人といるのもなかなかやめられない。少なくとも、望んでいた1日を過ごしてみたはずなのにとても寂しい。大学の頃の、陸上と向き合っていた日々を送っていた頃の僕が、もしかすると一番孤独に強かったかもしれない。孤独は一番の創作の友だ。実家に帰った時に昔作ったCDを聴いてみたのだけれど、驚くほどいいメロディーを書いていた。それも一曲や二曲じゃない。余ったエネルギーを全部投入していたのだろう。金もないから機材もない6畳で10代の自分が奮闘していた記録と記憶。あの頃は確かに孤独を飼っていた。孤独を飼い慣らして、曲を作っていた。

このまま2週間くらいまた幽閉させてくれるのであれば寂しさは孤独に溶けていき、なんでもなく一人を貪れるようになるのだろうが、悲しいかな明日から僕は歯車である。新部署に行くので、追い出し会やら歓迎会でまた忙しくなる。誰かに受け入れられ、別れを惜しまれるのは嬉しいことだ。形だけだとしても本当に嬉しい。

あらゆる人に頼って生きている。それは仕事の面ではなく、私生活だとしても。ウマの合う人、優しい人、好きな人。恵まれているとも思うし、恵まれていると思える環境を作れて良かったとも思う。では、安心感じゃない本当の安心感とはどこにあるのだろうか。夜な夜な続いた飲み会が一瞬止まったくらいで寂しさを感じる程度の安心感は幾ら何でも情けなくないだろうか。

 

忙しくなる承知で、うまく自分を立て直したいと思う26歳。でもあれだな、本当にそんな感慨なくて大した文章書けないな。25歳の一年が少しだけ人生が加速して行くヒントを掴めた一年だったので、引き続き頑張ってやっていきます。