徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

資源配分とキャパとネルシャツ

クタクタのネルシャツとチノパン、ダンロップのズック、アメ横で売ってるようなリュックサックを背負って佇む中年男性が、一心不乱に電車を眺めているとすると、彼は鉄道オタクなのだろうと多くの人が思うだろう。

試しにコミケになんか行ってみると、同じような出で立ちの老若男女が同人誌とコスプレにうつつを抜かしている。


なんでオタクは服装に無頓着なイメージを持たれているのか。

普通の服装ってあるじゃん、普通の服装にすればいいのに。自分が普通だと思っている人はそう思う。服装にもう少し気を付ければいいのに。


そもそも、人が持ちうる資源の総量ってあらかた決まっている。先日は時間配分について書いたけど、「気をつける」についても資源は有限だ。

バランスよく気をつけられる人は世間的に優秀だ。服もちゃんとし、部屋もちゃんとし、人ともちゃんと付き合い、仕事もちゃんとする。凄い。到底できない。

でも、この姿、超人の姿こそ、普通の人とされてしまっている。

実際僕らには趣味趣向があり、価値観があり、有限のリソースを優先順位つけて投下している。そのバランスなんて偏って当たり前だ。何かに夢中になれば何かがおそろかになる。仕方ない。100が150になるわけじゃなく、100の配分を変えてるだけなのだから。

辛いことがあって、多くの資源がそれを消化するために使われているのに、普段通りの生活ができるはずもない。でもみんな繕って頑張っちゃうから、超人みたいな人が溢れて、普通になる。

人それぞれ資源の総量も違うだろうし、配分の器用さも違う。でもそれが個性でしょうに。けど、そうはいっても求められるのは超人。とかく生きづらいですよね、世の中。


優しさとか、大らかさとか、ダイバーシティをどうこうとかいうけど、それは多分全部理解に基づくもので、理解できないと怒りや不安がもたげるし、理解できれば安心する。漠然と「色々な人がいる」ことを理解しても、それは理解じゃない。目に入っているけど見ていない。「この人はこういうところに自分の気持ちを傾けているからこの部分には力が入っていないんだなぁ」ってぼんやりでも考えられればどれだけお互いに楽なことか。


とはいえ、本日も絶賛普通の人をやりまくっている。これぞ社会。これこそ世の中。

「カメラを止めるな!」〜誰もが秘めた狂気と本気の物語〜

話題作ですね。横浜は黄金町にあるジャックとベティで9月に上映していたのを見過ごし、チャンスを逃し続けた本日11月7日、川崎チネチッタにてようやく観てまいりました。

 

kametome.net

 

映画に疎い人間だが、面白い映画というのは、本線の物語が面白く、更にそれに込められたメッセージ性にも共感できる代物であることが多い。ヒット作はほとんど皆そうであろう。

本作はどちらも文句のないものだった。面白かった。

 

長回しと前日談

この映画は大きく二つのパートでできている。長回しのショートフィルムパートと、その前日談パート。映画の本線は、観客にショートフィルムを観せる中で抱かせた違和感を前日譚(ショートフィルムができるまでの物語)で丁寧に拾っていくというものだ。

不可解な間や謎の展開の裏話をなぞり、長回しの裏で起こっていたトラブルを面白おかしく観せる。ショートフィルム内の役者たちのキャラ立ちを上手く活かしながら、前日談の中で巧妙に伏線を回収する。「だからあの間があったのか!あの違和感の裏ではこんなめちゃくちゃが起こっていたのか!」観客はただただ面白く映画に引き込まれる。

生放送一発撮り、廃墟が舞台のパニック系ショートフィルムが題材ということもあり、人間がよく転ぶのだけれど、長回しの緊張感の中で人間が転ぶというだけでこうまで面白いとは思わなかった。

転倒という脳みそに直接訴えてくるタイプの面白さと、裏話や伏線回収の面白さに魅せられる。

 

狂気と本気の物語

しかし本当に熱いのはこっちだ。心が熱くなるのは、こっちなのだ。

主人公は「早い・安い・質はそこそこ」が売りと自分で言ってしまうような、大概調子のいい映画監督。仕事は選ばずなんでも飛びつき、番組プロデューサーの意向に限りなく沿う。俳優も大事。女優も大事。事務所も大事。極限までエゴを削いで仕事を取ってくる。生活のためにはうだつをあげない。

でも、でもね、映画監督をやるような人がまともな人であるわけがない。撮りたいから、伝えたいから、映画監督をやっているのであって、人様にへいへい言いながら都合のいい作品を撮り続けていたらそりゃ面白くもないのは当然だろう。溢れ出る演者たちへの要求やプロデューサーたちへの不満に栓をして、なんでもない顔をしている。

 

主人公の妻は元女優。「演じると我を忘れて大変なことになる」と、数々の現場から追放された結果、惜しむらくも引退してしまった。でも、この人も夫と同じだ。溢れ出る表現欲求の首を人様に刈り取られ、とりあえずまともな人のふりをしているけど、それは化けの皮を被った表現欲求お化けでしかない。日々日々夫が携わっている台本を読んでいるのも、そんな思いがあってから。

 

主人公の娘は映画監督見習い。まだアシスタントである。映画への愛が溢れ出ていて、作中きているTシャツもほとんどが映画ジャケットのTシャツ。真面目に映画が好きだからアシスタントのくせして現場でゴリゴリ演技指導して首になる。狂気の秘めた父と母から出てきた映画モンスター。常に本気である。

 

物語の肝はこの3人のカタルシス。

作中の長回しショートフィルムに出るはずだった監督役とアシスタント役が道中の交通事故で来られなくなる。そこで代役となったのが、フィルムの本当の監督である主人公と、たまたま来ていた(主人公の娘がショートフィルムの主人公である青年のファンだったから娘と二人で着いてきてた)主人公の妻。

腰の激低い監督から演者になった主人公と、日頃表現欲求を堪えていた主人公の妻が舞台に上がる。これが本当に気持ちいい。

ショートフィルムの冒頭、主演二人に対して主人公がブチ切れる。これまでへいこらしていた主人公の狂気が滲み出る。妻もだんだんトランス状態に入ってくるのがわかって気持ちいい。表現欲求の首を刈り取られ続けた鬱憤を晴らすが如く、リアルに首を刈り取りまくる。

演者それぞれが結構めちゃくちゃをやって、生放送のショートフィルムが作品として成り立たなくなりかけるのだが、それを立て直すのが主人公の娘である。日頃現場では牙を抜かれ続けていたところ、ここぞとばかりに牙をむき出しにし全体を仕切る。

カンペ出せ!巻け!15ページの15行目に飛べ!早く!

まじで娘が優秀。

主人公一家が、場を荒らして、整えて、壊して、直して、絶妙なバランスでショートフィルムが完成していたのでした、ちゃんちゃん。

 

という、この、主人公一家の熱量。

毎日を過ごす中で、僕ら誰もが狂気と本気を抑え込んでいる。その部分を本作にくすぐられて、みんな「カメラを止めるな!」が好きなんだと、間違いないと、僕は思うわけです。

主観ではあるが、特に芸術になんらかの形で携わった人、携わっている人、憧れがある人、芸術を受け取るのが好きな人は、狂気の内包量が多い気がする。舞台の上で、ライブハウスで、カラオケで、譜面の上で、キャンパスの上で、粘土を使って、猛烈に何かを表す人。でも、普段はなんでもないような顔をして生きている。そういう人が、この映画にくすぐられてしまう。狂気を存分に発揮する主人公一家に、カタルシスを覚える。

そうじゃない人だって、本気でやりたいことを抑え込んでいる。

会社でテメーらナメてんじゃねーよって思いながらニコニコお茶を運んでいるお姉さんだっているだろう。いつかこいつの顎にフック食らわせて泡吹かせたいって思っているおじちゃんだっているはずだ。

それもこれも、全部主人公一家がショートフィルムで演じる中でカマしてくれている。

そして最後の最後、親娘思い出の肩車。

全部、全部が、気持ちいい。

 

本作はネタバレすると面白くないと言われているが、そんなことはない。ネタバレで面白く無くなるのは本線だけであり、込められたメッセージ性になんら変わりはない。ハリウッド映画のような、ありえない壮大な話ではなく、身に覚えのある悔しさや苦しさを存分に蹴散らしてくれる。本当にスッキリする映画だった。

 

一気に書けた。楽しかった証拠です。

最高でした。

徒然

徒然の意味を僕はちゃんと知らない。ちゃちゃっと新しいタブを開いて、「徒然とは」と検索すればスマホの皮を被ったグーグルが一発で教えてくれるけれど、別にしようとも思わない。日常とか片手間とか暇とか、そんなニュアンスが徒然にはある。

人間が持ちうる時間なんてたかが知れていて、一日たったの24時間。そこに日常があって、徒然と生きている。僕らの徒然は無意識に決めている優先順位によって構成され、歯磨きより寝るのが好きな人は歯も磨かずに寝てしまうだろうし、寝るよりドラマが好きな人は寝る間も惜しんでドラマを観る。それら細かい細かい選択の集合体が僕たち人間を人間たらしめている。文化的生活の根幹である。

 

2ヶ月くらい前まで毎日文章書いてすごいねぇと言われていた。僕の徒然は文章を書くまでがセットで、徒然と文字を叩きながらその行為こそ僕を形作っていた。執筆の優先順位は極めて高く、電車の中、校舎の影、芝生の上、吸い込まれる空、幻とリアルな気持ち感じていた。この世界からの、卒業。さておき、場所を選ばずどこだってモノを書いていた。

生活が変わる際たる原因として、三つあげられる。

場所が変わるか、内容が変わるか、時間配分が変わるか。

やることが変わらなくても東京から北海道に場所が変わったら生活は一変するだろう。東京で9時5時の仕事だとしても、SEと銀行員だったら全く生活が違うはずだ。また、これまで9時5時の仕事だったのに24時間戦えますか的企業と巡り合った日には生活とは…と自問自答が止まらなくなる。

そういうわけで、異動とは名ばかりの社内転職が行われたこの9月から僕の生活は大きな転換点を迎えており、物を考えるとか物思いに耽ることが大変難しい状況に置かれている。そう、徒然の崩壊である。24時間の内容と時間配分が変わった上、別途夜間の泥酔が頻繁に行われるようになり、心と身体のバランスを取るのが難しくなってきている。まるで思春期のように。しかし感受性がカチコチになった今、思春期のような瑞々しさは存在しない。不用意な思春期である。

 

陸上をやっていた頃、300mという距離を頻繁に走っていた。筋持久力の向上と耐乳酸を目的としてのトレーニング。400mという距離を主戦場としていたのだけれど、当時は練習で300mを無限に走って、実際のレースのラスト100mは根性一発でなんとかするみたいな考えの元、1日に10本も20本も300mを全力疾走していた。

正直、3本も走ればゲロゲロになるほどに大変しんどいところ10本走るというのは鬼畜の極みで、どうにもこうにも足が動かなくなってくる。酸欠で目の前はチカチカする。手先はしびれる。ケツは乳酸地獄で動かない。

それでも走るのだが、走りきるのに何が大切って、最初の3歩でどれだけスピードに乗せるかである。

人間の体は不思議なもので、一度スピードに乗せると案外そのまま突っ走れてしまう。もちろん体調にはよるけど、調子がいい時には最初の三歩さえ踏ん張れば後は足が動いたものだった。

日の徒然も同じようなものかなと感じている。

日常が壊れだしても最初の三歩をしっかり踏めればあとはスピードに乗っていく。それがよく三年とか3ヶ月とか言われる所以なのだろう。日常が変わってすでに2ヶ月が経過した今、あと一歩しか残っていないくせしてスピードに乗る気配も一切ない激雑魚野郎なんですが、あと一歩残ってるからとりあえずそこだけでもがっちり踏もうと思う。

そうしてうまくスピードに乗れたら、もしかすると日常に執筆が戻ってくるかも知れない。だといいなとも思う。

 

曇天極まる、11月の東京。一雨ごとに秋は深まり、冬の足音も淑やかなものではなく、猛ダッシュで迫ってきている気配に満ちている。先日仕事で業務用の大きな冷蔵庫にて作業をしたのだが、あの空気の冷たさに故郷の冬を思い出した。東京の冬はやはり生ぬるく、生命を脅かされている緊張感が感じられる故郷の真冬の寒さ。体調不良とか目先の辛さを吹き飛ばしてくれる寒さが少し恋しい。

12月、所用で里に帰ることとなったので、寒さを味わってくる。それまでには、スピードに乗っていたいとも思う。改めて。

今朝とこの頃のこと

これからしばらく、東京は秋晴れの日が続くらしい。いいだけ世間を騒がせた台風ラッシュも、激烈な被害を受けた地域を除けば喉元を過ぎ去り、なんでもない晴天をなんでもなく受け取り消費していくのが僕ら庶民。

今朝もそれはそれはいい天気で、外はほんの少し肌寒いけれど室内に入れば日の光は暖かく、車窓からの日に背を照らされながら働きにでる。連休のあと。猛烈な仕事が積載されているであろうデスクがすぐそこに待っている。

 

全くコントロールできていない仕事量に翻弄されながら、上下左右よりつっぱりを食らう日々に両脚を突っ込み、2ヶ月が経つ。別にこれまで暇してたつもりもないが、比較的のんびりしていたらしい。間違いなくここ2ヶ月の緊張の糸の張り具合は自分史上に類を見ないものだ。今のところ空中姿勢は乱れ腐ってるけど、そのうちいい人生経験だと言えるよう、うまく着地したいなと思う。

 

めっきり書く頻度も減ってしまった。時間がないのもそうなのだが、まったくもって書く気にならない瞬間もある。あまり感じたことのない感覚だ。

どうやら糸が張っているときには創作しようと思わなくなるらしい。辛いときや苦しいときほど創作は捗るものとこれまで考えていたが、どうも違うようだ。

考えてみるに、創作とは、ピーンと張った糸が弛緩したとき、張った水準と弛んだ水準との狭間で行われる。少なくとも、僕の場合はそうらしい。

どれだけ辛いことが起きて、どのレベルの水準で糸を張り、それを乗り越えられたときにどれだけ弛緩できるか。落差があればあるほど文章を書き、曲を作る。しかし、糸を張っている最中では、創作が入る余地なんて一分もない。

これまでそもそも、仕事や生活など人生の本線で、大して糸が張っていなかったのだろう。細かい緊張と弛緩はあったものの、それは多分程よいものだったらしい。だから毎日毎日文章が書けた。今はどうだ、情けないほどである。別に毎日書くことを課しているわけではないが、ほとんど嘔吐に近い執筆作業を通して取っていたバランスが確かに崩れていっている。

多分、この糸の弛緩がうまくできなくなったとき、心が苦しくなるのだと思う。なんとなくだが、わかる。うたかたの享楽にも緩まなくなった糸は硬化して、切れてしまう。

 

 

糸をピーンと張り、向かい風を切って走って、初めて凧は飛ぶ。でも、張ったままじゃ高度は上がらない。糸を弛ませて、だるーっとした糸を持ってもっと走る。そうしたらまだまだ高く凧は上がる。

弛緩と緊張の繰り返しのなかで、沢山の文章を書いていたいし、もっともっと高く上がっていきたい。というか、不断の上昇を義務付けられている気すらする。糸が切れて落ちたら誰かが拾ってまた糸をつけてくれると信じて、できるところまでやっていきたい。

明日も。

マリオカートの思い出

うちの親父はゲームが好きなのだと思う。

若かりし頃は爪先から頭のてっぺんまで麻雀に浸かりきり、最近は文明の利器YouTubeで麻雀の動画を眺め続けている。声を上げるでもなく、黙々と神妙な面持ちで画面を見つめているときは大抵他人の麻雀を眺めていると思っていい。

僕は、麻雀は打てない。けど、親父とゲームはよくやっていた。

小さな頃から家にスーパーファミコンがあった。親父がどうしても欲しかったのだけれど、自分は仕事か何かで抜けられないから、他人を並ばせて買っただかという曰くが付いているスーパーファミコン。今でも実家にあって、僕が帰省した時には幼馴染に等しいほど親しい友人たちとボンバーマンとかで遊ぶ。購入から20年30年経った今でも遊んでるんだから人に並ばせただけあったと思うよ、親父、よくやった。

小さな頃のゲームの記憶は、そのスーパーファミコンに尽きている。親父が持ってたソフトの中にF-ZEROがあって、懸命に操作しようと試みたのだけれど未就学児には極端に難しく、日々日々打ちひしがれていたのをよく覚えている。記憶にある中では最初の挫折を僕はF-ZEROで味わった。

F-ZEROを親父と遊んだ記憶はない。しかし時は下り、ニンテンドー64が出た頃になると僕も物心がつきてきて、普通にゲームができるようになる。誰が買ったか、誰の意見か、全く分からないが、気付いた時にはニンテンドー64とセットでマリオカート64があった。

これを本当に腐る程やった。スパーリング相手は親父である。

レーシングゲームが好きなのかわからないけど、親父にも一定のテクニックがあり、ガキの頃の僕と結構いい勝負をしていた。小学生くらいの子供なんてみんな負けず嫌いである。親父に負けるのが辛くて、負けそうになった瞬間に電源を切るなんていう最強のボイコットをしょっちゅうカマしていた。本当に申し訳なかったと思う。

ゲームキューブが出ても二人でよくマリオカートをしていた。マリオカートをするか、外に出て家の前の通りでキャッチボールをするか。お陰で一人っ子でもそう飽きることなく育ってきたように感じている。感謝である。

 

そうしていま、僕ら一家はボウリングで遊ぶ。いつだって、ゲームが傍にある。

七対子からキャプテンファルコン、マリオサーキットからヘッドピン。脈々と、ゲームをしている。人間と人間をの間に娯楽が挟まると上手い具合に人間関係が回るらしい。

何かの折にニンテンドースイッチでも買おうかと思うけど、多分今の生活にゲームの挟まる余地はなくて、ゲームのために狂ってでも時間を作ろうともしない気がする。手の届く範囲の娯楽を貪っていきたい。

それで、誰かと上手い具合に人間関係が回ったらいい。

段落

昔、それは小学生の頃、国語の教科書を音読するときに段落ごとで分けていた記憶がある。子供用に作られた可愛い文章だ。一段落とはいえ大した文章量じゃない。とはいえ大勢の前で喋るのは緊張感が伴う。恐々としながら自分の番を待ち、自分の分の段落を読み終えたら一安心して他の人の音読をゆっくり聞いていた。


この度、仕事がひと段落しました。

が、しかし、仕事の段落は驚くほどゆっくりできない。何しろ段落が来ても誰かが代わりに仕事をやってくれるわけではない。踊り場に来て立ち止まっているとたちどころに仕事が降ってきて、やれ右にやれ左にとブンブン回していかなければならない。一から十まで責任の中でぶん回す。段落が来ようと次の文章はすぐそこにあり、それも自分で読む。用意された文章で終わりかと思えば、突然何処からともなくアディショナルレトリックが突っ込まれて、また読む。段落は遠ざかる。

これだったらぶっ続けて仕事した方が楽なんじゃ…と考えもするけど、段落がない文章ほど見苦しいものはないことも確かだ。7日あれば一段落二段落あったほうが読みやすい。多分それは、生きやすさと同義だろう。


ひと段落します。

米津玄師「Flamingo」について

僕らはいつまでJ-POPをやっていくのか。

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和メロっぽいキャッチーさを残しつつファンキーなギターがバッキングで鳴り続け、サビで三回「フラフラフラフラミンゴ」を繰り返すうちの最後のフラミンゴで若干のラテンっぽさを残し、Cメロでは古典的な和メロを歌う。

結局、J-POPのオブラートに包んでしまったら全てがJ-POPになってしまう。ポルノグラフィティをラテン歌手という人がどれだけいるだろうか。全くいないだろう。でも彼らのヒット曲でやっていることはラテンのそれ以外何者でもない。J-POPとは、それっぽさを突き詰める産業であり、現代においての米津玄師は、あらゆるそれっぽさを取り入れて我が物としつつ、世の大流のなかで支持されうるであろう声色と言葉の突っ込み方を完全にやりきっている。すごい。彼の行く先に道ができる状態である。

 

全部盛りがウケる時代なのでしょうかね。とことんロックとか、とことんパンクはクドくて、一つのアルバムで、一人のアーティストで色々な面が見られた方がリスナーとしては楽しいのでしょうか。ORANGE RANGEよ、今こそ君らの出番なんじゃないか。

以上、明日も6時に起きて仕事です。

シャワーも浴びずに、明日の自分に期待を残して寝るとします。

さらば浮き世。

「偉い」とは何か

僕の会社にも、あなたの会社にも、僕が出てきた学校にも、あなたの出自にも、必ず偉い人はいたはずで、偉い人の指差した方向に団体は向かい、団体の方向に否応が無しに進んでいったのが僕らの人生である。少なくとも、あなた自身が偉い人でなければ。

偉い人には偉い人より偉い人がいて、大抵の偉い人は偉い人より偉い人に従っているのだけれど、偉い人より偉い人がいたとしてもやはり偉い人は偉い人で、偉い人の決裁権で結構な決断ができてしまうし、偉い人の価値判断は勉強になる。何しろ偉い人だから。厄介ですね。

 

そもそも会社でいう偉いって何か、立派って何か、出世って何かって、それは一つしかない。会社の偉い人に認められるか否か。ただそれだけである。民衆に支持されたとて、よほどの民主主義でなければそれは通じず、残念ながら基本的に社会は独裁だ。独裁の会社において民主主義は多くの場合で機能していない。労働組合というスーパー組織があるものの、世に言う大企業のみの話。

ぶっちゃけ、偉い人に認められさえすれば自分が偉くなっていける。これには幾多のファクターが絡み合っていて一筋縄ではいかない。一番わかりやすいのが数字である。圧倒的利潤を数年にわたって会社に残した人材はやはり登用されるだろう。だがそこには好き嫌いなんていうめっちゃ面倒臭いファクターも介在する。あいつ嫌いだから飛ばしとこー。なんて偉い人が考えた日には一生世の果てから出てこられない。

だが、会社が本当のところ求めていることって何かって顧客の満足で、顧客の満足が得られるような人間に関しては十中八九利潤が付いて回る。するとどうなるかといえば、本質的に稼げるやつはすなわち会社にとって有用な人間で、そいつの素質はどうあれ、とりあえず登用してみるか。みたいな話になる。

ではその数字が得られないレベルでの登用とは何かといえば、偉い人の好き嫌い以外の何物でもない。端的に言おう、阿呆である。ウルトラCかクズかの二者択一を引いているに等しい。そんなの登用でもなんでもない、博打である。

 

実力があるなら発揮しろ、ないなら好かれてみろ、好かれた先で咲くかどうかはお前次第だ。頑張れ。

 

そんなロジックで回る世の中。無情だなぁと思う反面、自分は割と好かれている側の人間だから余裕あるんだろうなとも思うし、好かれたからこそ目の前に関しては余裕ないし、でも長期的に見たら多分さぞ余裕綽々な感じに見られているんだろうなとも思う。

アップアップガールズなんですがね。

それだけです。勢いです。

同じ話を何度もする大人になりたくなかったけどなった

僕の父方の祖母は大変な話好きで、齢96だか97だかで逝去するギリギリまで雄弁多弁な女性だった。それはよく話したのだけれど、幾多の話の中には彼女なりの鉄板ネタというのがあった。ボウリングが流行ったころ、カーブボールを投げようとしたらつんのめって転んでガーターに膝をぶつけてパンパンに腫れたために今足が悪いって話に関しては耳がタコで完全に塞がるレベルで聞いた。

大学に入ってからも何度も何度も同じ話をする友人と出会い、端的に自分が話したことすらも記憶できないとか相当やばいんじゃないだろうかと日々日々感じていた。お前それ一昨日話してたよと、別に指摘してやっても良かったんだけどあまりに楽しそうに話すのと、オチがわかっているとオーディエンスとしても完璧に盛り上げられるので、それはそれで楽しくて雄弁に喋ってもらっていた。

会社の偉い人にも、近所のおじちゃんにも、同じ話マンはそこら中に転がっている。

 

絶対に、僕はそうならないだろうと確信していた。なぜなら人と話すときの集中力に関しては誰にも負けないと、自負があったからだ。毎日一生懸命楽しく会話しようと頑張っている、その一言一句をどうして忘れようか。何話したか記憶にないとか、そんないい加減に人と話していいものですか。全く。

みたいなことを思っていたんだけど、最近殊に同じ話をするようになって来た。なりたくない大人に近づいている。嫌だ嫌だ。

なぜだろう。なぜ僕らは同じ話をしてしまうんだろう。

 

これ、理由は三つあります。

  •  所属するコミュニティの増加
  • ネタの枯渇
  • お酒

どれもこれも重要な原因である。

所属するコミュニティの増加

社会に出ると否応なしに人との付き合いが増える。会社の中の横の繋がりが蜘蛛の巣のように張り巡らされていく。蜘蛛の巣の交点が人付き合いだとすると、それはもう恐ろしい数の人付き合いがひしめき合っている。

無数の交点が存在する中、どの交点でどんな話をしたか、だんだん整理できなくなってくる。4年に一度会うくらいのオリンピック的友人ならまだしも、一番怖いのは3ヶ月に1度会うくらいの友人で、それはもう整理がつかない。

しかし、4年に一度の友人でもネタの枯渇によって、僕を同じ話人間に仕立て上げる。

ネタの枯渇

そんなに毎日毎日面白いことがあるわけでもなく、日常に溶けて流れていく。自分の心の中に残る面白いこといわゆる鉄板ネタは何かっていえば、10年くらい前の出来事だったり、うちのばあちゃんで言えば50年くらい前のボウリングだったりする。

どういった事象が鉄板のネタになっていくのか。

自分の知的好奇心を満たした大きな出来事とか、身体にしろ心にしろ痛かった話が多い印象がある。大学生に戻ったら論文とか書いてみたい。鉄板ネタについての考察。

いいとして、特別拡充されるわけでもない鉄板ネタを使いまわしていくうちに同じ人に何度も同じ話をする羽目になる。

お酒

これが最も恐怖である。何しろ記憶をバグらせる。自分の口が、四肢が、どういう動きをしているのかをコントロール下に置けなくなる。最近どっかの市議が居酒屋で酔っ払った挙句セクハラを散々して指摘されたら店のガスメーターをぶっ壊したって話を聞いたけど、酒には十分それだけの力がある。

流石にそこまで壊れはしないが、自分が何を話していたのか把握できなくなることはめっちゃ多いし、話しているのは慣れ親しんだ鉄板ネタが多い。結果、酔っ払った同じ話をするおじさんの完成である。

 

 

何が大事かって、たくさん友人を持ち、たくさんの思い出を作りながらも、お酒に飲まれることなく、思い出話ばかりに浸ることなく生きていくことだろう。

そんな芸当、僕にはとても無理なので、おとなしく同じ話を紡ぎ続けたいと思う。

電気がついた部屋で

寝落ち。

多分ここ10年くらいで流行りだした言葉だろう。電子製品の電源を切る際に「電源を落とす」と表現することから、睡魔に負けて寝入ってしまう様子について「落ちる」が使われるようになった。言葉の生まれた経緯はそんなことに違いない。

 

最近頻繁に寝落ちる。諸悪の根源は22時半とかの怪しい時間に不意に布団に横になることにあり、さらにその根源を辿ると飲み会とか日中の細々した出来事につながってくる。睡眠は健康の母。睡眠は健康の母!

寝落ちて深夜に起きて、昨晩の自分の怠惰に苛まれながら電気消して寝るあの瞬間ほど、QOLがぶっ壊れる時はない。あと少し、あと少しだけ自律できていたら、安眠がそこにあったのに、自分に負けて布団と懇ろになった所為で体力の回復と健やかな精神を無に帰してしまう。人とは弱いものだ。

そして大抵寝直した時の夢は仕事の夢を見て、うぁぁぁぁぁっ!って起きて、夢か…ってなったその日に夢より悪いことが起きる。

 

つって出勤して、帰って来て、今日も着々と寝落ちの準備が整っている。

ワンルームの部屋で寝床以外のスペースなんておまけでしかない。そう考えると、部屋で死んだように寝るのは割とワンルームの部屋的な生き方なのかもしれないと今開き直っている。寝たきゃ寝りゃいいじゃん。眠いんだもの。

そうして本日も布団と仲良しになる。切ってもきれない、強い絆。