徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

コロンブス

子供が可愛すぎて世間のことなんてあらかたどうでもいいのだが、非常に興味深く様子を伺っている。

 

僕は映像を見ていません、曲は聴きました。

この四面楚歌の状況を生んでいるのには本当にさまざまな要因が絡んでいるように思う。しっかり酔っ払っているので理路整然と記述する元気もない。

楽曲の発注元のコカコーラ含めた製作者の思惑としては、「この曲でキャンペーンを盛り上げて商業的に一定の効果を生み出そう!」だったことは想像に難くない。そう考えると、MVという、楽曲にとってはある意味蛇足な販促活動により、あらゆる利益が消し飛び損失が膨れ上がる、この結果。考えるだけでめちゃきつい。

簡単に言えば、配慮である。

「事情をふまえて、気遣いのこもった取り計らいをすることを意味する語」(weblio辞書)。これが配慮。定義に照らすと、製作者一行は、事情(歴史的事実を踏まえたコロンブス新大陸発見の捉え直し)を踏まえて、気遣いのこもった取り計らい(特定クラスタの人が嫌な気持ちを抱かないような作品制作)をすることができなかった、といえるだろうか。人権や誰一人取り残さない的な価値観が通念になっている社会からしたら「配慮がない」とかよりももっと強く重い問題なのかもしれない。

製作者側の思惑が外れ、配慮が不足しルールに反した作品を発表したことはそれとして、四方八方からの投石にも似た意見が投げ込まれているのはなぜかと考えると、大衆は他人事に興味が湧く程度に暇であるというのが半分、世に生きる人々全員が日々配慮を重ねているため配慮がないものを見つけるとどうしても許せなくなってしまうのが半分、今日の常識的にありえないだろと思っている人がさらに半分、人権に対しての問題意識を強く持っている人がもう半分と言ったところだろうか(20割)。一人が一つの理由で投石をしているわけでもなく、これも複合的な要因でそれぞれ投石を嗜んでいる。投石、青リンゴを穿つって感じだろうか。はたまた焼きリンゴって感じか。上手いこと言った。

今回の件で、法整備がされ、MV制作に関しての人権尊重のガイドラインが作成されるとか、MVを作成する際には必ずBPOを通さなきゃいけないとかの仕組みが整う結末が用意されているのならば、それは一つの意味があるのだろうと思う。でも、個別製作者の倫理観とか見識とかに責任を見出そうしている限りは絶対にまた繰り返すし、そうした動きにつながらない。すると、ほぼ間違いなく今回の騒動はただ消費されて終わるだろう。商業的な成功を目論んだ制作と、虚実深浅多様な考えに裏打ちされた多種の意見がぶつかって、一瞬光って花火のように消えていく。何の意味もなく。

まさに世情って感じである。世情に意味なんて見出す方が無駄なのかもしれない。