徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ラブソングを考える

世の中の歌なんてラブソングかそれ以外かしかないというのは、今作った言葉なんだけれど。


ラブソングの溢れ方は尋常じゃない。クリスマスシーズンになったらこれ見よがしに街に流れる。

AKBグループやジャニーズがヒットチャートをオセロのごとく埋めだしてからはそりゃラブソングだらけになるのは納得であるがしかし、その遥か前から売れる曲は大体がラブソングだ。つーかそもそも曲のほとんどがラブソングだ。

よくもまぁネタが尽きないねと思うほどに、ミュージシャンたちはあの手この手で色恋に結び付けて曲を作成する。

考えてみれば、はるか平安の世に編集された万葉集にも恋の歌が多く入っていたはずだ。人間の…いや、生物のDNAにはラブソングの何かが入っているんではないかと生物学者とかに小一時間問いただしたくなる。絶対なにかある。

 

なんでそんなラブソングばっかり売れるのか。

ラブソングを分類しつつラブソングを考えてみる。

 

ラブソングの種類

 

大きく分けて3種類あるだろう。

  1. 仮想「君」を想定するもの
  2. 第三者の恋路を追うもの
  3. 普遍的な愛を語るもの

1は置いておいて。

2は自分が俯瞰した視点から恋を見届ける。ビートルズのShe loves youがそうだ。タイトルの通り、あいつお前の事好きだってよ!って修学旅行の夜みたいなことをイェーイェー歌う。

3は愛って単語を科学するような曲。愛って自由でなんだかステキな言葉だよね!太陽みたい!

2のパターンはフォークソングに多いように感じる。

3のパターンはジョンレノンに多い。

 

ただ、何しろ世に溢れかえっているのは1のラブソングである。君・あなた・お前と二人称を変幻自在な玉虫色に変えながら量産される。

1の中でもさらに、恋愛の発達段階によっても大きく分類される。

出会いの歌・ドキドキ恋愛発展中の歌・付き合えた歌・安定期の歌・倦怠期の歌・さよなら

さながら乳児期から発達していく人間のようだ。恋とは深い。

なんでまたこんなに1のラブソングが作られるのか。考えてみると、

  • 書きやすい
  • 売れる

この二点に尽きるだろう。

書きやすい

実体験ほど書きやすいことはない。実体験だからわかる。

むしろ何かクリエイティブな活動をするにおいて、実体験や経験を抜いて完全無欠のオリジナリティを手に入れることなんて無理だ。万有引力の法則のような世紀の大発見ですら先人たちの発見の上にのっかている。アーティスティックな面でも、必ず師匠がいて、その師匠の手癖とかを学び取っている。師匠の教えを多少なりとも生かしている。

切っても切れない自分の経験のなかで、DNAレベルで刻まれているであろう恋だ愛だのこと話をするのはいともたやすいのだ。

 

売れる

そして売れる。まぁ売れる。

ラブソングをラブソングたらしめているのは、歌詞だ。

音楽を聴く理由として、メロディーが…ここのギターのエフェクトのかかり方が…拍子の取り方が…声が…ってさまざまあるだろうけど、歌詞が存在する理由にはどれもならない。

歌詞の存在理由は、大きく分けてたら歌手の自己顕示欲の表れと聴き手の共感の2点しかない。

日本語の美しさが…という人もいるし、よくわかるんだけど、広くみるとそれは共感だと思う。この表現綺麗だなーっていう、共感。


ふたつしかないと仮定して、

自己顕示欲は生き方とかを語りたい系ソングに滲み出るあれだ。ラブソングにも恋愛指南のような形で液漏れすることもしばしばある。こんな辛い恋したのって報告ソングも、ままある。

もう一つの聴き手の共感は、売れることには不可欠の要素だろう。これがないことには売れない。

聴き手が歌詞に求めることは経験の追体験だと考えている。いつかどこかで感じた覚えのある切なさを思い出して、切ない気持ちにさせてくれること。それが追体験である。映画とか小説とかのように、知らない人の知らない物語から新しい価値観を得るというよりは、知っていることを復習する意味合いの方が強い。

結局のところ、恋愛あるあるをかっこよく歌っているのがラブソングであって、恋愛あるあるを聞いていたいのが聴き手だとしたら、歌い手と聴き手の利害関係が一致している。それは売れるわ。

より多くの人の共感を集められる歌詞と耳なじみのいいメロディーが組み合わさったものが、世に言うヒットソングとなりえる。アングラでラウドシャウトパンクしているバンドとかはまた別の需要があるから、ここでは置いておきます。

 

 

 

まとめると

歌手は書きやすい・売りたい、聴き手はあるある体験をしたい・買いたいという絶妙なバランスの上に成り立つ理想のマーケットがラブソング市場である。

この市場が幸運なのは、時代の波のどこまででも乗って行けることだ。

書簡の時代から、恋文、公衆電話、ポケベル、携帯電話、メール、ラインと、媒体を変え育まれる恋愛模様に柔軟に対応し続けてきた実績が恋の歌にはある。今後テレパシーができる世の中になったとしても、テレパシーあるあるを歌った恋の歌が街に流れるのだろう。


人が恋をして種を存続させることをあきらめない限り、ラブソングは生まれ続けるに違いない。

 

 恋のうた

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