ライフイズビューティフルを見た感想。
とにもかくにも、映画を見ない人間です。
日本人として見とけとよく言われるジブリ作品ですらちゃんと見たのは千と千尋だけで、この間までもののけ姫の主人公をあの獣と共にいる美少女だと思ってた。けど違うらしいね、ほんとはあの青年の方らしいね。どちらも名は知らない。
洋画も親がたまたまつけていた映画をつまみ食いする程度で、きちっと理解してみるということをしてこなかった。
なんでかって、多分一人っ子だってことが関係してると思うんだけど、一人でいるときにじっとテレビとか見てると、家で動いているものが何もなくなっちゃう。
それがどうしても怖かった。
だからなにかしら能動的に何かをしていないといられない癖ができたらしい。本はしょっちゅう読んでた。ページをめくる行為があったから許せたのかも。
映画見ないっ子として生きてきたがしかし、先日友人から映画見ないとか激もったいな損損丸だ的なニュアンスのことを言われ。あぁそうかと。損損丸かと。見てやろうと思うに至った。
近所にゲオがある。
ゲオに行ってDVDのパッケージを見てニヤニヤするのは好きだったから、いつか何かがあった時に見てみたい映画には目星がついていた。
そこで借りてきたライフイズビューティフル。
もう2,3作借りてきたかったんだけれど、DVD物色しているとなぜかトイレに行きたくなるシンドロームに襲われてあえなく帰宅。
で、見たわけですが。
面白いということで、傑作ということで、いいんだと思います。
あまりの見識の無さに、自信を持ってこれは面白い!見ろ!と言えない自分が情けない。
しかし、ジンジンきました。
あらすじ
1940年から1945年くらいまでのイタリアを背景にした映画。
それは愉快なグイドという男がドーラという女性に一目ぼれするところから物語は始まる。文字にしたらこんな簡単な導入だけれど、映画ど素人の自分にはこれがわかりにくくて、前半はこの映画はどうなんだと猜疑の目を持ってみることになってしまった。
グイドはドーラに四方八方十六方からアプローチをかける。
このグイドのグイグイ進む猪突猛進恋路がそれは魅力的で、気がついたら冒頭抱いた猜疑心はぶっ飛んでた。
周りの人をうまい具合に利用して(そんないやらしい意味ではないよ)グイドはドーラに近づいていく。
そして実は婚約していたドーラを結婚式で略奪に成功するのだ。なんてはた迷惑な幸せ男なんだグイド。ドーラにしてもとんでもなく不本意な婚約&結婚だったみたいだからめでたしなんだけれども。少し前の婚約者が気の毒なそれだ。
純愛を実らせ、気が付けばドーラとの間にジョズエという子をもうけて、幸せな家庭を築いているグイド。
しかしグイドはユダヤ人だった。
1945年という年はユダヤ人にとっては酷な年だ。ヒトラー率いるナチ党がユダヤ人をひっ捕まえて強制収容所に送る、悲惨な出来事が起こる。
その災禍にもれなく巻き込まれてしまうグイド一家。
前半のピュアなラブストーリーから打って変わって、ここから少し辛い描写が増えてくる。
それでもテーマは一貫して愛の物語だった。
きついきつい収容所生活をこれはゲームだと嘘をついてごまかしながらジョズエに言い聞かせるグイド。違う収容牢に入れられてしまった妻のドーラに自分が健在だということをそれとなく気が付かせるグイド。
粋なグイドに首ったけ。
グイド、イケメンとは言えないルックスながら、イケメンとしか言えない一挙手一投足を見せるあたり、勇気をもって生きていいんだと世の男性に気が付かせてくれる。
戦いが最後の激化を見せた夜に物語は大きく大きく動く。
そうしてクライマックスに向かっていくのです。
この流れを2光年くらいドラマチックかつロマンティックにしたのが本筋です。
感想
世の中こんなうまくは行かないんだろうなって思うところもある。グイドはスーパーラッキーマンであることも間違いない。人並みの運の持ち主だったらきっとドーラと一瞬すれ違っただけで物語が終わる。何でもなく戦渦に巻き込まれていってしまうだろう。
けどそんなことどうだっていいんだよなーって思わせてくれた。
最初、グイドがドーラに会うたびに言っていた
ボンジョールノ!プリンシペッサ!
作品中でも一つのキーワードとなっている言葉。
これ言い続ければ自分にも人並み外れた幸せと運が舞い降りるんじゃないかとも思わせてくれた。
何かと人のご機嫌見ながら生きなければ、生きにくい世の中。なんとなーく人に合わせてニコニコしているのが幸せですっていう人も多くいる世の中だと思う。自分も割とそう思っている節が強くて、誰かが喜んでくれることができたら幸せだわーみたいなことを座右の銘に近いような信条として掲げたりもしていたけれど。
なんかもっと本質的に、うっわー楽しー!ってことをやってみてもいいんじゃないかと感じた。グイドの生きざまはいい意味で自分本位だった。
「自分がこうしたい!だからする!そうしたらきっとあの人はこう思ってくれるに違いない。」
こんな考えのもと生きてるんじゃないか。彼は。憎めないわがままだ。
ゆとり世代と悟り世代のブレンド世代かつ日本人という、マトリックスで示したらわがままという単語からは果て無く遠い場所に存在する僕たち世代だけれど、自分のワナビーな部分をさらけ出すのも時には重要なんだろな。
それが運と幸せをもたらしてくれたら最高です。
激嬉しウキウキ丸です。