徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ヒッコシィィィイィィイ

昨晩の決意から一夜。精力的にゴミ袋の山を増やす活動を続けている。ダイオキシン有毒ガスその他もろもろの環境破壊に手を貸しまくっている気がするものの、心を鬼にして、一昔前の蓮舫氏のごとく仕分けに仕分ける。

相当に片付いてきたような気がする。気のせいだけじゃない。片付いている。ただ気になる点がいくつかある。

初めての引っ越し故、どこまで片づけてから業者が来るものなのかわからない。段ボールにはあらかた詰めた。タンスとかの中身は空にした。しかしこのまま業者が来て持って行って真っ新なお部屋になるのだろうか。ならない気がする。いろいろ残る気がする。最後の最後で心を鬼にできないのだ。小物とか、いつでも処分できそうで、ほんの少しの思い出が詰まったものを処分しきれていない。心の蓮舫がまだ踏ん切りをつけられていないのだ。やっぱ一番じゃなきゃダメだよね、二番じゃだめだよねって妥協してしまっている。後先考えずに捨てきる強さがほしい。中途半端に心優しく育ってしまったがための苦しみか。

あともう一つ。果たしてトラックに乗るのか。

出来れば一度で載せていきたい。超過料金かかるとかの惨事は免れたい。だからはみ出た分は自分で往復して運搬するんだろうけど、それも快いかと言えばそうでもない。そもそもトラックってどれだけでかいんだ。見当もつかないぞ。その昔、三歳児の僕は車が大好きだった。道端ですれ違ったタンクローリーに向かって、タンクロォォリィィィイ!ってジョジョよろしくエキセントリックな叫びをぶつける程度に車が好きだった。当時の僕に聞いてみたい。2トントラックってどれくらいの大きさですかと。きっとコレクラァァァァイィィィィ!って1メートルちょっとの巨体を目いっぱい使って教えてくれるだろう。知識は使わなきゃ忘れるものなのだな。

 

やらなきゃいけないことを放り投げて執筆するのは卒論の時期と同じ流れだ。そんな卒論も無事に書きあがったのだ。引越も無事に終わるに違いない。数日後に迫った空っぽの部屋とのご対面の時、どんな思いが胸をよぎるだろうか。切ないだろうか。嬉しいだろうか。今のこの引越面倒くせぇスピリットからすると、歓喜の拳を突き上げる気がする。オシマァァァァイィィィィ!って叫びながら。