徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

顎の痛みからわかる顎を使っているタイミング

一週間ほど前から顎が痛くて仕方ない。左の顎がどうかしている。

最初は親知らずが生えてきて骨押されてんのかな位の事で考えてた。親知らずの進出が収まれば勝手に痛みも引くだろう。確かに親知らずも顔出している面積が増えてきた気がする。なんとなく歯茎も痒い。きっとそうだ。

無事、歯茎のかゆみは治り、親知らずの疼きは止まったがしかし、顎は痛いままだった。

反省すべきところはある。痛みはじめに顎を酷使してしまった。噛まなくていい氷を噛み続けてしまった。

ニキビをつぶしてしまいたくなるように、虫刺されを爪でぎゅーってしてしまうように、気になるところに痛みをぶつけることによって、その違和感はどういったものかを試す悪い習慣が人間にはままある。大体痛みが悪化するのに、それでもやらずにはいられない。毒を持って毒を制した先は毒だ。解決していない。

 

果たして顎がしばらく痛いのですが。愚かなことに、不自由を抱えて こそ気が付くことは多い。ちょうどスノーボードをやった翌日がそうだった。全身の疼痛に苦しめられた結果、健常の幸せと、日常どれだけ体を柔軟にかつぞんざいに、さらに大胆に使っていたかがわかった。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

顎だって同じだった。

まず当たり前だが咀嚼が辛い。

噛む行為が辛い。何でもない時にはわからないくらいに、食べるときにものを噛んでいることに気が付いた。スープにひったひたに浸したパンですら相当に噛む。ぐっずぐずのご飯でさえも。液体でない限り無意識に噛んでしまう。痛む

更にうつ伏せが辛い。

顎が痛いと食いしばれないのだ。運動をしないいま、瞬間的にパワーが必要な場面はほぼなくなった。しかしうつ伏せは別だ。なにしろ基本就寝体制がうつ伏せなのだ。寝られない。寝苦しい。いろいろ工夫はしてみる。枕を胸の上りに当てて顎だけ綺麗に地面につかないようにしたり。息苦しい。八方ないしは十六方ふさがりである。その十六方の選択肢の中に仰向けはない。

あくびができない。

あくびをかみ殺すほど切ないことはない。酸素が足りないという、生命の危機のサインをかみ殺すのだ。死にたいと言っているようなものだ。しかし死にたい以前に顎が痛い。顎を全開にしてしまった時の痛みと、前回にした顎を畳む時の痛みの往復ビンタだ。行くも地獄、帰るも地獄とはよく言ったものである。

顎の置き場に困る。

うつ伏せに通じるが、皆、退屈な授業を受けている時の姿勢を思い出してほしい。顎は大体の場合でどこかに乗っかている。机だったり、頬杖ついているかもしれない。こちらも無意識に、顎はどこかに支えてもらっていることが多いものなのだ。こうしてパソコンに向かっている時も、体育座りをしているために顎は膝の上に乗せていたいが、痛いため、若干浮かすという空気椅子の首バージョンを行っている。首凝る。

 

よく、十二指腸は退化した過去の名残だとか、尾てい骨は尻尾の名残だとかいう。いらなくなったから退化したのだと。でも実際無くなりだしたころの人類は結構不便を感じたのではないかと思う。普段何でもなく使っている者って結構大事だったりするのだ。あ、でも使ってなかったから退化したんだから大事じゃないのか。

いいこと言ってまとめようとしたけどダメでした。取り繕うのもやめにします。パソコンを早く閉じたいから。顎を首を解放してあげたいから。