徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

追悼記事 和田光司さんの訃報に寄せて

20代の半ばを漂う平成初期生まれにとって、デジモンは夢中ツールの一つだった。公園で鬼ごっこをやり、64でバンジョーとカズーイの大冒険とマリオをやり、ゲームボーイポケモンをやり、プレステでデジモンをやった。特にアニメ専門チャンネルと化したテレビ東京の電波が届かない陸の孤島・道東地区において、フジテレビで見られるデジモンはアニメでも一大勢力を築いていた。毎週日曜日朝九時、当時小学生の子どもがいる家庭の殆どでデジモンが流れていたはずだ。

1999年より4年間放映されたデジモン初期のアニメシリーズ。第一作の『デジモンアドベンチャー』に始まり、『デジモンアドベンチャー02』、『デジモンテイマーズ』、『デジモンフロンティア』と続いた。何のことない小学生たちが「選ばれし子供たち」となり、デジタルワールドに導かれ、デジモンと共に戦う物語。アドベンチャーと02は同じ世界の話であったこともあり、2年間にわたって八神太一とアグモン、大介とブイモンの勇士にくぎ付けになった。テイマーズで設定が一新されるも、ディーアークにカードスラッシュしてデジモンに特殊能力を付与させながら戦う仕組みに興奮し、フロンティアではディースキャナを使ったスピリットレボリューションで少年たち自身がデジモンとなって戦う仕組みに驚いた。

 

4年間。大学生活が始まって終わるだけの時間、僕らはデジモンを毎週毎週見続けた。そこには必ず、和田光司の歌があった。

 

デジモンアドベンチャーの主題歌だった「Butter-fry」は、我々世代であれば誰でも知っているほどの知名度を誇る。エポックソングだ。年代を前後に少しでもずらしたら通用しないのだろう。

無限大な夢の後の 何もない世の中じゃ

そうさ愛しい 思いも負けそうになるけど

ステイしがちなイメージだらけの 頼りない翼でも

きっと飛べるさ on my love

デジタルの世界が現実にも少しずつ開けつつあった1999年、「無限大」という響きに少年少女たちの胸は高鳴った。疾走感がたまらないシンセとクランチバキバキギターの音像も相まって、意味も解らないで歌い狂った。

02の主題歌は『ターゲット~赤い衝撃~』だった。前作に比べるとマイナーコードであるせいか知名度は低いかもしれない。よく考えたら、なんだこのサブタイトル…って思う。

熱いバトル起こせ

の3連譜連打に胸騒いだ。

テイマーズになり、「The Biggest Dreamer」という名曲が生まれた。「ターゲット~」よりも知名度は間違いなく高いだろう。

Big and bigger biggest dreamer

夢見ることが すべてはじまり それが答えだろ

Wanna be the biggest dreamer 全速力で 未来も現在も駆け抜けろ

サビの語呂と語感の良さがピカイチだった。前作に引き続きのマイナーな進行ながら有り余る疾走感で人気曲となった。

フロンティアはデジモン世代の出口となった作品であった。デジモンを巣立たんとするデジモンネイティブ世代と、アドベンチャーを知らない世代の過渡期だったように思う。だから主題歌の「FIRE!」にピンとこない人も多いのではないか。しかし、

ゴミ箱を飛び越えた先にある未来

光をまとって get up fire power

なんていう小学生にもわかりやすい名比喩も登場する。曲調は「Butter-fry」を踏襲したかのようなアッパーチューンだった。

 

和田光司さんの訃報を今さっき目にした。

ガンと戦い続けていたのは知っていた。デジモン15周年イベントをYoutubeで見た時は、彼の歌声が本当に苦しそうなことにショックを受けた。咽頭癌の治療を続けながら歌手をするというのはこうまでして苦しいものなのかと。しかし、デジモンアドベンチャーのその後の世界を描いた最新作「デジモンアドベンチャーtri.」の主題歌を歌ったり、「re-fry」なんて新曲を出したり、精力的に動き出さんとしている姿を脇目で見ていて、復活してきたんだなぁ、なんて思っていた。今になって振り返ってみれば、ここ数か月ないしは1年の精力的な活動は、余命を全部燃やし歌い尽くしたものだったのかもしれない。

和田光司という歌手のファンというより、デジモンというコンテンツのファンの端くれとして、彼の死は悲しい。心待ちにしている番組の幕開け。ワクワクの瞬間に流れる声。誰の作詞でも誰の作曲でも、声は紛れもなく和田光司のものであった。おじちゃんたちがマジンガーZ仮面ライダーで子供に戻るように、僕らの子ども退行スイッチはデジモンが持っている。デジモンと共に大きくなり、デジモンのおかげで子供に戻れるのだ。

大人になって社会に出た僕は、もう自分が「選ばれし子供たち」じゃないことを知っている。デジタルワールドはないし、インターネットの世界のどこにもデジモンは潜んじゃいないことも何となくわかってしまう。夢も希望も、手を広げて収まる範囲にしかない。悟りでも嘆きでもなく、現実を見てしまう。

けど働いていく中で、生きていく中で、デジモンを振り返ることが多々ある。たいてい辛い時や哀しい時に、デジモンに助けを求める。フィクションの金平糖のようなアニメ。その冒頭で、「ステイしがちなイメージだらけの頼りない翼でもきっと飛べるさ」と歌い、「夢見ることがすべてはじまりそれが答えだろ」と訴える和田光司の声を聴く。一過性でも虚勢でも、あぁなんとなく頑張ってみようかなぁなんて気になる。

 

明日、きっと僕はデジモンのサントラを聴いて出勤するだろう。日曜日の朝9時、かつてデジモンアドベンチャーに夢中になった時間。ブラウン管の前から通勤電車に場所を変えて。