徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

血液型信者

大学で心理学を学んだ。心理学の一面は統計学である。Aという特徴を持つ人たちはaという傾向があるよ!ってのを量質両面からサンプル取りまくって立証していくお仕事だ。統計の網で払って、仮説に信頼が置けるようであればそれは真だし、逆ならば疑だ。

よくあるのが行動傾向とストレス対応との関係をみるとか。ここでの「行動傾向」と「ストレス対応」って主語を変えていくと、ぶっちゃけなんだって調べられてしまう。

さて、血液型である。心理学のレールの上だと、血液型と性格の相関関係はなかったことになっている。血液型占いは本当に占いでしかなく、どんなにO型っぽいO型がいたとしてもそれはたまたまである。

と、いうことをわかっていながら、コミュニケーションツールとしての血液型の話ほど便利なものはない。世の中のお姉さまがたは血液型こそ全てみたいなところがあるので、血液型トークに乗りまくっていると自ずと会話に混ざりこめる。間違っても「いやそれ心理学では否定されてますから」なんて言ってはいけない。お姉さま達の世界においてはお姉さま達がルールだ。お姉さまが地球は平らですっていえば、平ら。

でもまあ、体を流れる血液が司ることやものもいくばくかあるのではないかって気持ちもわかる。古代、病気は血の淀みが原因とされている時期があった。病気になったら血を抜いていたという。それほどまでに、血は大切で、特別だったのだ。性格を左右するって話もわからんわけではない。何しろお姉さまがたの真実だから。認めよう。