それはApple製品の比喩でもなんでもなくて、ただのりんごのことなんだけれど。
今、台所には3つりんごが置いてある。そう、キティちゃんの体重と同じだけのりんご。「ワケありりんご!」と銘打たれて安く売られていたブサイクな形をしたりんごたち。買ってからしばらく、彼ら彼女らは台所に鎮座し食されることもないまま今日を迎えている。
りんごって、風邪を引いたらすりりんごを食べるのが結構社会通念としてまかり通っちゃってるほどにポピュラーな果物だと思う。創世記の禁断の果実もりんごっぽいビジュアルで統一されがち。果物界の4番サード、ナンバーテンに限りなく近い存在であることは間違いない。
思えば実家のばあちゃんもりんごが好きだった。塩水に漬けて変色しないように気を使われたりんごをよく食べさせられていたものだ。「おりんご食べなさい?」と丁寧語の矛先をよくわからない方向に向けながらりんごを食べるよう催促されていた。昨日のことのようだ。
ポピュラーだから。よく食べていたから。だから僕はりんごを好きなものだと考えていた。マスに迎合し、祖母に教育され、りんごの魅力を知った気になっていた。
しかしどうだ。いざ「ワケありりんご!」を買ってみたが一向に口にしない。僕の方がワケありだ。
仮にりんごが好きじゃないとして、なにが嫌なのか考えてみると、原因の多くはあの食感にある。独特のシャクシャク感。瑞々しさに比例して激しくなるシャクシャク感。あれが僕をりんごから遠ざけている。味も好きだ。蜜も好きだ。あれが柿のようなニュクニュクした食べ物だったら大好きだったかもしれない。でも違う。フレッシュさに能力値をめっちゃ振っている。果肉の主張が強すぎる。それが神様の親切心なのかもしれないが、仇だ。
試しにワケありりんご!を食感関係ない料理にでも使ってみようと思う。バーモントか。ジャムか。
果たして、シャクシャク感を脱ぎ捨てたりんごを、僕は愛せるのだろうか。