タイトルは、韻を踏みました。
先だっての帰省で、母にアイロンを買ってもらった。
旧居では近所に安いクリーニング屋さんがあったからシャツの洗濯は120円でアウトソーシングしていた。しかしどっこい、現在の家の近所には安いクリーニング屋さんがない。ファブリーズやシワ伸ばしスプレーで繊維に喝を入れる日々がしばらく続いたのだが、さすがに無理が出てくる。そういうわけで、自社工場での洗濯に舵を取ることを決めたのだった。
干支2回分とちょっとの人生。アイロンときちっと向き合ったことがなかった。学生時代の戦闘服はジャージだった。オシャレにも無頓着だったから丹念にアイロンがけをするなんてことはなかった。つーかシャツをそんなに着なかった。社会人、そういうわけにはいかない。無骨さよりは、ある程度おしゃれを求められる職場において、シワとヨレの分だけ減っていくのは信用。そりゃアウトソーシングもしたくなる。
のっぴきならず、自らの衣服と向き合うこととなった185センチの男性。
アイロンの難しさに直面している。反面、悪くないなとも思っている。
困ったらすぐにグーグルに聞きがちなゆとり真っ盛りマンは、今のところ「アイロンのかけ方」で検索をかけていない。珍しいことだ。
熱した鉄で、衣服を律する。
ただそれだけのことに検索する必要があろうかという気持ちでいる。例えば、料理であれば検索する必要があるだろう。あれは、切る・炒める・味付けをする等々、多種多様な要素が絡まりあってできている。でも、アイロンは違う。アイロンは鉄で衣類をこするだけだ。それは、「カレーを作るとは」異なる。「キャベツを切る」と同義だ。僕は「キャベツ 切り方」では検索しない。切るだけだから。単純明快な作業だから。別に今更検索する必要がないと考えている。
上記のような偏屈を抱えたアイロンがけは、物の見事に衣服にシワを寄せている。心折れそう。多分圧倒的にコツがあったりノウハウがあるんだろうけど、負けたくない。たかだかアイロンがけ。単純明快な作業だ。屈しない。
試行錯誤しながら一枚一枚アイロンをかけていく。一枚ごとに創意工夫が詰まった作品が出来上がっていくため、案外時間がかかる。
その時間が、今は愛おしい。歩いている時と同じ感覚で、時間を過ごしている。
衣服と向き合う静謐な時間。情報過多の世の中で、貴重なデトックスタイムとなっている。
工夫は工夫で楽しいし、慣れてきたとして作業になったらなったで無心になれるから楽しいのだろう。アイロンがけ悪くないぞ。悪くない。
いよいよ主夫になれるね!
と日頃お世話になっている方々から声をかけられる。一人で生きていけてしまう人は結婚も遅れるらしい。心のシワを伸ばすところから始めなければダメなようです。