無我の境地
それは、大人気漫画テニスの王子様における概念である。
無我の境地に入った越前リョーマを僕はジャンプの紙面で読んだ。試合中に大ピンチに陥ったリョーマが突然オーラに包まれ、英語しか喋らなくなった様を読んで心震えた。「まだまだだね」というキメ台詞が「You still have lots more to work on.」なんて表記になってて、マジで喋りにくそうだなって思った、ある日の思い出。
さて、無我の境地であるが、これは許斐剛によるゾーンの表現だとされている。
ゾーン
このあいだの冬季五輪中には度々耳にした。平たくいえば、「アスリートが極限の集中状態に置かれた際に到達する領域」である。何しろ極限なので、ゾーンに入っている時の記憶がなかったり、想像以上のパフォーマンスが出ることも知られている。
僕もアスリートの端くれとして何年か過ごしたが、あれは確実にゾーンだったなって瞬間が一度だけある。
2009年の国民体育大会北海道予選の決勝である。
決勝に向けてアップしていた時だった。スパイク履いて流しをして、いざ選手招集に向かおうという時、突然サングラスをかけたかのように視界の色が変わったのがわかった。別に世の中の色味が変わったところでどうってことはないのだけれど、僕はその時に決勝で勝つんだと変な確信を持った。走っていないのにである。
別に当時ぶっちぎりに強い選手だったわけじゃない。優勝は狙える位置にはいたけど、間違いなく勝てる勝負じゃなかった。なのに、確信を得て、やっぱり勝った。
あの視界の色が変わった状態がゾーンなんじゃないかと今でも思っている。
特にレース中の記憶がないとかではないが、その日のレースでは全く風を感じなかった。風力発電の羽がグルングルン回っているくらいの強風だったのにである。さらに勝利への確信と、何をしてもうまくいくような万能感。多分2度と味わえない感覚だと思う。
しかし、案外簡単に擬似ゾーンに突入する方法があることを知った。
泥酔である。
泥酔
こと女の子を引っ掛けることにおいて無類の強さを発揮する友人がほど近くにいる。酒を飲んだ時の彼のコミュニケーション能力はずば抜けているのだが、彼が酒に酔った時すでに僕も酒に酔っているのできちっと把握できているか怪しい。
薄れゆく記憶の中で何度も見た彼の芸術的ナンパとコミュニケーション活動の数々。
そして気がついたら女の子といなくなっていたり、女の子と寝てたりという武勇の数々。
それはそれで立派なゾーンなのではないかと、最近思うようになってきた。特に自分の記憶の外で事を為しているあたり、ゾーンに類似する。慣れ親しんだ動きを集中状態の中で無我夢中かつ完璧に履行するのだ。
なるほどゾーンに入るには泥酔すればいいのか
短絡的な答えに行き着きそうになったがしかし、僕はそこまで馬鹿じゃなかった。
ゾーンと泥酔の違い
聡明な諸君はおわかりだろう。
ゾーンはある能力が研ぎ澄まされて伸長しきった時点での境地だが、泥酔はある能力以外の能力が弛緩しきった結果逆説的に研ぎ澄まされてしまった境地である。あらゆる力が減退し、その残滓が泥酔。ある種マイナスのゾーンこそ泥酔であると言っていいかもしれない。
僕は泥酔すると本当にダメになる類の人間で、なんの残滓も無くなってしまうのだが、彼は泥酔すれどなおコミュニケーション能力だけは手放さない。愚かだが立派であり、立派だが相当愚かだ。
側から見ていて面白いからいいのだが、僕も酔っ払っているので本当に面白いのか酔っ払っているから面白いのかすらもわからない。
ズブズブのダメダメである。
過ちを超えて
二十代半ば。
責任をある程度負いながら案外無責任でいられる稀有な時期だと最近よく思うので、程よくゾーンに入りながら生きていきたい。何も残らないゾーンだが、泥酔の末に手放さないものを何か見つけたい。