徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

人を見る仕事について

人事っぽい仕事に少し携わっている。就活戦線の火蓋が切られた4月より、当社に興味がありそうな学生たちに声をかけては会うようなナンパな仕事を何の気なしに振られた。折角やるならとぽつぽつと真摯に取り組んでいる次第である。

別に評価するわけじゃなく、どちらかといえば啓蒙活動に近い。うちの会社でできることや働いてみての感想をざっくばらんに話し、学生たちの悩みや質問にもまたざっくばらんに答える。自分を通して当社の雰囲気を知ってもらうわけで、売り手市場と言われる今年の就活市場を鑑みるとなかなかキチッとしなければならない仕事だったりする。

ただ、評価しなくてもいいと言われど、感想は抱く。この子と働きたいな、この子いいな。考え方がしっかりしていて、人付き合いに長けていそうな人。人間的に深みがあればなお良い。学生たちと会うたび、自分の価値観が育っていくようでもある。一方で、自分が理解できる人しかいいなと思わない器の小ささを突きつけられている気もする。

いいな、魅力的だな。この感情はいくつかの要素におそらく分けられる。

一つは、圧倒的な実力差がある場合だ。はるか上、全く知らない地平に生きる人間に対して、僕たちは魅力を感じる。もう一つ、それは共感だろう。似た者同士、理解し合える同士で繋がって行く。

会社の選考を受ける人間なんて結局能力に大きな差はない。ぶっちぎりで頭切れる優秀な金を落としたいマンがいるのかもしれないけど見たことがない。

そうなると、人事等選考をする側の感性が共感する人間ばかりを採るようになる。幸か不幸か。


類に漏れず僕がいいなと思う子は僕が理解し得る子しかいない。多様性多様性言っておきながら、多様性を図る尺度がないからこうなるわけであって…と話し出すと切りなくなるので、とりあえず大人しく寝ることとする。

コナンをBGMとして。