今、年末ぶりの体調不良が襲ってきている。寒気、喉と目の奥の痛み。典型的な風邪の症状である。手洗いうがいを少し怠っていたかもしれないなと自省しながら、真摯に真摯に体調不良と向き合う所存でいるが、どんな態度を表したって体調は上向かない。風邪菌は厳しい。
最近はお腹にくることが多かった風邪だけれど、幼い頃からのウイークポイントは喉だった。今回も喉だ。液体でも固体でも、なんだって喉を通過するときにはヒリヒリと痛み、黙っていても違和感が続く。リンパが張り、顎を引くとズキズキする。慌ててうがいをたくさんしてみるも後の祭り。予防しとけという話。
さて、そのような不調を前にして僕は喉をどうしたいかというと、できれば喉の管を引っこ抜いて綺麗さっぱり洗浄した後に戻したい。しかし叶わないので代わりの清涼感を求める。
そう、スースーである。
体調不良時にミンティアなどのスースータブレットを食べると、一瞬喉の痛みがわからなくなる。喉内にすーっと風が吹くかのような清涼感。不快にまみれた気管に訪れるまやかしの快。だがそう長くは続かない。蜃気楼のようにさっと消え、再び不快の沼に突き落とされる。
一度対症療法を知ってしまうと、もう普通ではいられない。不快の沼からすぐに這い上がりたい。スースーに飢え、スースーを求め、スースーなことしか考えられなくなる。スースージャンキーの誕生だ。
果たして、僕はスースーを片手から手放せない生活を強いられる。清涼感が五分持つという大っきなタブレットを餓鬼のように噛み砕き、圧倒的スースーを得ると同時に麦茶で流し込む。スースーの名残が残る管を水が通った時のスースー加減は覚せい剤キメながらのセックスのようなものだろう。過度のスースーで頭がおかしくなりそうになりながら、その瞬間だけ喉の不快感を忘れる。さらに次の瞬間、また不快感が襲う。またタブレットを口に入れる。
悪循環だ。悪循環だとわかりながらやめられない。確実にスースーを上回って行く体調不良だからこそ、スースーの快感が忘れられないのだ。
清原だったろうか、覚せい剤の常習者の言葉が思い出される。
「覚せい剤にやめるなんてことはない。『また今日も一日やらないで過ごせた。』その積み重ねがあるだけだ。」
スースーも同じである。やめるなんてことはない。でもそこには体調が上向くという最高の出口が待っている。
出口のないスースー、覚せい剤。
ダメ、ゼッタイ。