徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

経営者と労働者と

最近、サッカーをあまり観ていないのだけれど、ハリルホジッチの解任騒動に乗じて色々な記事を読んだ。サッカーにおいて監督がどれだけ大切かって話から、戦術の変遷まで。

現代サッカーにおいて、守備はフォワードから始まるらしい。ハイプレスをかけて高い位置でボールを奪うことこそが最高の守備であると。最早、攻めも守りも一緒くたになりつつあると。

幾ばくかの記事を読んで、仕事もそうだと改めて実感した。

現場と経営という区別がある。

現場は日日、現場のロジックで動き、苦しむ。人員欠乏、売上未達。売上未達の末の人員削減。仕事量が減らないまま人だけ引っこ抜かれ、経営マインドを持てと言われてもそんな余裕がある人なんてどこにもいない。

しかし経営は経営で必死だ。数字を見て、不採算を何だかしようとする。利益を求め、経費を削減する。新規事業に人が必要なら有能な人材をそっちに当てなければならない。時には現場から引き抜く。現場は苦しいかもしれないが、利益を見たら圧倒的にそれが正義だったりする。

どっちがフォワードでどっちがディフェンスか知ったこっちゃないが、現場と経営も垣根がなくなって行くべきなんだろう。経営は現場から始まり、現場に経営が入り込む。こう書いたら当たり前だけど、できない。

なにしろ労働を動機付けているロジックが全く違う。

会社を潰さないために仕事している連中と、人生を潰さないために仕事している連中。帰結する行動は一緒でも動機が相入れない。とかく経営の方がお財布を握っているから立場的には上になりがちである。労働者は弱い立場とされるから、法に守られる。


書いててわかった。経営と現場はポジションの差じゃない。

サッカーで勝ちたくてサッカーやってるやつと体育の授業で仕方なしにサッカーやってるやつの違いだ。

この差はポジションの差よりももっとしんどい。勝ちたい奴から見たらイライラするだろうし、単位欲しくて仕方なしの奴からしたら何そんな熱くなってんのって話になる。目的が一致してないと同じサッカーだとしてもこうも厄介だ。

だから労働組合なる組織が互いのモチベーションを調整しながらやりくりするんだけど、組合の活動費も経営が握ってるわけだからそんなんドベドベになるわ。

結局、走れる奴は誰よりも走れ。走りたくない奴は自分のペースで走れ。みたいな話でしかなくなるんだろうなと思う。モチベーションとか動機付けを共通言語にできる仕組みができたらなんと素晴らしいことか。


なんというか、そんな感じです。