徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

合わせ技一本ライフ

例えば駅伝で、全区間で5位くらいを取り続けてたら優勝争いができる。最近は青学がどうしようもない感じで強いからアレだけど、先頭争いが団子であれば区間5位キープは相当すごい。逆に区間賞を取っても、どこかの区間で脱水を起こしたら途端に優勝戦線から離脱してしまう。言うならば区間5位の合わせ技一本というか、なんというか。

結構堅い職業に勤めている。実際そんな堅いつもりはないのだけど、どうやら堅いらしい。そんな職業と、普通程度の音楽を作る素養が組み合わさると、例のごとく才能があるんだね!みたいな話になる。全然努力なんだけど。まぁそういうのは抜きにして、そこそこに面白がってくれる。

その度に、合わせ技を感じる。

多分僕の音楽に対するそれは、音楽界においてはミジンコである。間違いない。ただ、音楽にあまり造形のない集団(語弊があるかもしれないけれど)にいてのみ、それとなく凄そうに見える。でも、実際はミジンコだ。足の速さもそう。陸上競技において僕はミドリムシくらいの力量を持ってフィニッシュしたが、陸上界を離れると不思議と普通に足の速い人になる。

情けないっちゃ情けない。どれかこれかをもっと集中して頑張れと言われると、そこまでやり切れるかわからない。やりきってダメだったものもあるわけだ。


誰もがプロフェッショナルになれたのなら苦労はないだろう。実際は違う。プロフェッショナルなんてヒエラルキーピラミッドの頂点を電子顕微鏡でドアップにした先端だ。だからプロフェッショナルを目指さなくていいというのではない。プロフェッショナルを目指してひた走った事実は財産となり、必ず身につく。無駄にはならない。敗走したとて人生は続いていき、次のステージと出くわす。

その時、プロフェッショナルの残滓が輝くのだ。次のステージとの合わせ技一本という形で。

ぶっちぎりで敗者の論理だが、世の中大抵が敗者だ。今の商売は今の商売で、やれるだけやっていって勝てたならいい。負けてもやれるだけやったら何が残る。多分それは次で使える。


そうやって慰めていこうぜ、兄弟。