徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

シンプルにMGCに燃えた

今の今までよそ見ひとつせず見ていました。MGC。

マラソン速いやつ上から順番に集めてヨーイドンで競わせて、一位と二位を東京オリンピックの代表選手にしちゃおうぜ!ってシンプル極まりない要旨の大会である。視聴者側からすると、K-1とかスマブラみたいな面白さがあって堪らないんだけど、選手側からするとこんなに過酷なことはない。その一発、2時間と少しでカミカゼアタックを決めたら勝ちなのである。総合点でも見て欲しいよな。でも、そのスタートラインに立っている時点で総合点は合格判定を出されているわけで、文句のつけようがないヨーイドン。あぁ、過酷。


結果、中村と服部勇馬がワンツー、大迫は3位。しかし、順位だけでは説明のつかない展開であった。

そう、設楽である。

結果が全てだ。敗者に口無し。だが、あの覚悟の飛び出しはなかなかできたものじゃない。改めてマラソンという競技の複雑さを見せつけられた気がする。

陸上競技にも山ほど種目があり、単純なランだけでも100メートルからマラソンまで存在する。この距離と、競技としての複雑さを考えると、距離が短ければ短いほど単純かつ純度が上がり、長くなればなるほど複雑かつ純度が下がる。お酒に例えるならば、100メートルがジンやウォッカのような蒸留酒であり、マラソンは濁り酒だ。

純度が上がれば上がるほど、レース中のエラーは減る。言ってしまえば、100や200はスタートに立った時点であらかた勝負が決まっている。各々、どれだけ調子を研ぎ澄ませたかが全てとなる。が、純度が下がり複雑性が上がると、当日の調子のみでは勝敗がつかなくなる。駆け引きも生まれれば、思考の介在する余地が大きくなる。

まさに今日のマラソンをみて思い知らされた。

設楽、覚悟の飛び出しは、イケイケの所業でしかなく、あの感じで負けるなぞ考えもつかない。短距離の脳みそ、短距離の純度からしたらそうなのだ。が、マラソンの世界では平然と集団に食われてズブズブになっていく。仮に設楽が飛び出さなかったらどうだったのか。集団でコツコツレースを進めていたら果たして。それは最早当日の調子じゃない。その時の判断とその時の風向きだ。

勝てる選手と速い選手は違うとよくいうが、マラソンに限っては如実にそれを感じる。大迫なんかは純度が高い選手のように見える。あれは速い。日本記録なんか高純度じゃなきゃ出ない。けど、ヨーイドンをした時には、複雑性を乗りこなした中村に敗れる。この勝負が面白くて、人はただ走る他人の姿を見つめるのだろうな。


しかし、面白かった。

皆、天晴。