徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ファブリーズを空中に乱射した中に乱舞しながら突っ込んで着ている服を99%除菌しようとしたらテーブルの足に小指をぶつけたから今日は100%もうだめ

痛いので本当にもうダメだと思っていたのだが、この痛みを書き記さなければと這いながらパソコンの前にやってきて起動している間にそこそこ痛みが収まってきたので、なんとかなるかもしれないと思い直しているところではあるが、書く。

皆さん、私服はどのくらいの頻度で洗うだろうか。小学生の頃なんかは圧倒的頻度で洗濯機に突っ込んでいた記憶があるが、大人になってからと言うもの、オシャレ着がどうのクタクタになっちゃうからどうのと、ごちゃごちゃ言いながらしばらく来てから洗う諸君が多いではないかと思う。僕もその類である。

今日ふいにセーターを着たら、いつぞやの煙草のフレーバーが若干した。僕はタバコを吸わないが、忌み嫌っているわけでもない。多少の煙草のフレーバーだったら我慢できるので普段であれば普通に着てしまうところなのだが、たまたま帰省の折に母からファブリーズをプレゼントしてもらっていたので、使ってみようと思った。ファブリーズを胸に向けてシュっ!腹に向けてシュっ!肩にシュっ!腕に脇にシュっ!順調に除菌消臭のプロセスを踏んでいた。

体の表面のスプレーが終了したとき、はたと気づいた。

背中どうしよう。

僕は体が柔らかい方なので、肩を全力で後方に捻ればファブれなくはなかった。けれども一心不乱にやらねば届かないものだから一人で寝技をかけられているようなビジュアルになってしまう。これはいくらなんでも不細工だ。

そこで考えたのが、空中スプレーであった。

空中にスプレーして、その下ですかさず背中を広げる。まるでリフティングの達人がボールを蹴り上げて首と背中の間にボールを収めるあの動作を彷彿とさせる動きで、非常に気分が良くなった。

待てよ、これはもっと応用できるのではないか。

セーターだけではない。ズボンもきっと何らかの雑菌が繁殖しているに違いない。身体全身、満遍なく除菌消臭ができたら御の字である。

再び中空にファブリーズを掲げた僕は、三回くらいシュシュシュっ!と乱射した後に全身をフル稼働させて除菌消臭霧の中でダンスをした。それは規則正いダンスではなく、乱れ狂って踊るそれであったように思う。これまで僕はブログ等を通して、言葉で日頃の鬱憤を吐き出してきた。だが霧中ダンスが僕の深層心理にある不満の扉を叩いたようで、一種のカタルシスのような効果を感じることができた。そう、除菌消臭霧中ダンスが気持ちよかったのだ。

空中にシュシュシュっ!

シュラシュラシュラ!ウォラウォラウォラ!

シュシュシュっ!

シャバダバダ!シュラバンバンバンバン!

幾度か続けた。僕は完全に我を失い、見えない力に突き動かされるバーサーカーと化していた。

不意に、指数関数の如く激しくなる動きに耐えきれなくなった体幹がぶれた。よろめいたがしかしこちとらバーサーカーである。多少の体幹の動揺には負けずに乱舞を続けようと足を振りかざした。

その時唯一僕の部屋にある机の足に強く小指を打ち付けた。

流石に今まで20年と幾年か生きてきているので、ドアの角とかに小指をぶつけた経験程度はふんだんにある。そのたびに絶対小指折れたと思って確認するも、元気に小指は接着されているものなのだが、今回の痛みは群を抜いていた。まるで2009年の世界陸上ベルリン大会におけるウサインボルトのような、他の追随をこれっぽちも許さない痛みであった。

うずくまった。バーサーカー敗れたり。小指は砕けたかと思ったのだが、とっさに確認すると無事についていた。爪もどうやら無事のようだ。しかし焼けるような言いようのない痛みが波の如く押し寄せる。うめき声が漏れていた。こんなことになるんだったら、一人寝技をかけられていればよかった。

後悔の渦の中、背中がひんやりとした。

冷や汗まで出てきたのかと思ったが、それは時間差で降ってきたファブリーズの涙雨であった。

 

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ロイヤルホストとおっぱい

僕たちはそれのおかげで育ち、それが無いと言って泣きじゃくり、それを求めておしゃぶりを口にした。現代の人間がスマホを片手にし続けるように、子供の頃はそれを口にしながら生きてきた。

考えてもみてほしい。人間は哺乳類である。乳を、哺む。ちちを、はぐくむ。そう、生まれながらにしておっぱいを求める宿命を負っているのだ。ネズミも、猿も、クジラも、コウモリでさえ。哺乳類の進化の最先端にいるから、人間は知恵を授かった。感情を抑えることを知り、恥を覚えた。そして徐々に徐々に自分たちがおっぱいを求めていることを隠し始めたのだった。ほら、電車に乗る人々を見てみるがいい。談笑、スマホ、本、音楽。誰1人として昔おっぱいを求めていた過去を滲み出しているものはいない。あれほどまでに恋しく思っていたのに、何食わぬ顔でしれっと日々を過ごしている。人間の美しさが現れていると言っていいだろう。上品だ。限りなく。

しかし、そうした日常の中でふいにおっぱいに遭遇した時、僕らはひどく狼狽する。あるものは笑い、あるものは目を背ける。平常心を保てなくなる。スマホを見て心を乱すものがあろうか。いや、ない。皆平常心でスマホを撫でる。でもおっぱいは違う。撫でようもんなら鉄拳が飛ぶ。公僕にしょっぴかれる。反省を強いられてしまう。やはりおっぱいはDNAへの刻印がされたひどく特別な存在であり、求めすぎるがあまり隠し、暴くものを責める。全人類のトラウマの権化となってしまっているようだ。

そんなおっぱいが、今日、ロイヤルホストの天井にぶら下がっていた。照明だ。ふっくらとした半球と、その突端の黒い雫のような形のオーナメント。乳白色の灯りが灯ったそれは、おっぱい以外の何物でもなかった。上品そうなマダムや商談をしていそうなビジネスマンの頭上に燦然と鎮座したおっぱいたちが、ロイホの天井から、僕たちを見守っていた。

そう、まるで母のように。

汚部屋前前前夜

なんか部屋が汚い。諸悪の根源がどこにあるのかが全く掴みきれていないのだが、どうもきれいではない。絶妙に衣服がかさばっており、絶妙にホコリが溜まり、その上によくわからない書類が折り重なっていたりする。一つ一つはの要素はさして重症ではないと信じている。問題は多臓器不全のように全部屋的にうまく機能していないことにある。思い切ってあらゆる某を捨てて見ようかとも思うのだが、もしかしたらこれいつか必要になるかもしれないなんて要らない邪念がよぎるものだから取っておいてしまい、それが積もり積もってホコリを呼び、散乱の海辺に打ち上げられる。読まないフリーペーパーは捨ててしまおう。社内の広報誌はもうきっと読まない。大切にとっておく必要はない。給与明細は手動シュレッダーにかけてしまおう。あの封筒はなんだ。なんの封筒なんだ。あぁ、全くもって、汚い。部屋がきれいであることは精神衛生上とっても良い機能を及ぼすと思うのだがどうだろう。汚い部屋は淀む。コードがくしゃくしゃになっているところにホコリがごちゃごちゃ溜まって蜘蛛の巣が張っているみたいになるように、空気がくしゃくしゃになっているところには邪気的な何かがごちゃごちゃ溜まって行くに違いない。

昨日も書いたように僕の至上命題は勉強である。仕事もそこそこに勉学に精を出さねばならない。わかっている。わかっているのにブログにて部屋の整頓状況についてあーだこーだいいながら、この記事を書き終わったらきっと部屋を片付けだして、それなりに満足して眠りに落ちる。昨日も遅かったから。今日くらいは早く寝ましょう。んなことを言いながら。

ずっと耳元で垂れ流している大森靖子の歌を聞いていると、自分の言葉の数の少なさを痛感する。この人にしか組み合わせられない言葉があるんだろうなと思う。この人にしか組み合わせられない感情もある。でもなんとなくわかる気がする感情。

進化する豚ってなんですか。

勉学もとい、勉が苦

眼前に迫った問題が大きければ大きいほどミジンコみたいな興味関心に心惹かれてしまうのはノミよりもちっぽけな自制心が見事に機能していない証左であろう。僕は今とんでもない泥沼にはまっていっている。

試験なるものを受けるのは大学の頃以来だ。それも会社に金を払ってもらってという、全面協力の元での受験。やはり、人の意思は自ら選び取った上に痛みを伴ってこそ、十全に現れる。こんなおんぶに抱っこに肩車に乳母車のようなぬるま湯万歳エンバイロメントなんかでは意思なんてもんはふやけ切ってしまう。ビスコを半年くらい口に含んでたらこんな風になるだろうなっていうくらいのぶよぶよ具合だ。

そもそも、こちとら連休中帰省して夢見心地で生きていたというのに突然眼前に試験がそびえ立っているのがおかしい。異議申し立てしたい。計画的な学習ができていないと言われてしまえば僕は黙って頷くほかない。しかし計画的業務を推進しろ推進しろと言いながら資料と無茶振りの礫を投げつけてくる会社から何を言われたところで説得力がないってものじゃないか。どうだ。互いにブーメランを投げ合い、傷つけ合う不毛な削りあいの構図である。醜い争いだ。

脳みそストップしながら親指を動かしている間に、僕の砂時計の砂は刻一刻と減り続けている。とめどなく流れるそれは、行く川の流れは絶えずして云々と鴨長明のいう通りのそれだ。フォローしたくなる。

勉強します。今から、これから。

記事の数合わせだけのための酷い文

月末になると一年の何分の何が終わったのかって考える。6月とかは特に折返しだから考えがいがあるというものだ。そういったところで、1月が終わる。12分の1が過ぎる。

何の因果か、1日は24時間であり、12時間を2度回すことで成り立っている。そういうわけで時計は12の目盛りが用意されているのだが、12分の1のちっぽけさに驚く。恐ろしく僅かな割合だ。

のぺーっと生きてしまった12分の1。北海道は楽しかった。酒はうまかったが飲まれてはいけなかった。もやしの消費期限が切れそうだ。つまり、恐ろしく進歩のない日々なのではないかと、ハイパー危惧真っ只中であるわけだ。

せめて月に20の記事は上げようと必死で今文章を書いている。12分の1の達成は12分の12の達成の一歩目だ。コツコツ人間は今日も行く。

ファールチップで繋ぎ続けているような現状だが、分子が大きくなるにつれてボール球を見極め、あわよくばヒットを打てるよう、精進を重ねたい。

思えば最後の乳歯が取れたのもハイチュウのせいだった

ガムを噛んでいたら銀歯が取れた。たった10分前の事である。実家には必ず常備されているガム。一昨年に顎関節症に罹患し、顎がどうしようもなく痛くなって以来僕はガムを買わなくなったのだが、無条件に置いてあるならば食べてしまう。口寂しさを紛らわすにはうってつけのガム。しかしその口腔内ハプニング大賞っぷりと言えば正月における餅とタメを張る。何かと色々なものに粘着しては剝がす暴君っぷりは天国の松方弘樹も震えあがるほどであろう。

僕が最後の乳歯とロング・グッドバイしたのは今からおよそ12.3年前の事。僕はその時友達たちと近所の体育館を借りてバドミントンだかドッジボールをやっていた。学校の体育館ではボールを使って遊ぶのを禁止されていたため、近所の市営体育館を借りないと球技が出来ない環境だった。休みの日や放課後に体育館が空いていたらここぞとばかりに予約して遊んだのが懐かしい。その日も変わらずに遊んでいたのだが、友人の一人が珍しくおやつを持ち込んでいた。北見市内に一店舗しかない地場コンビニ「ダックショップ高橋」で買ってきたと胸を張っていた。お買い物の一つでさえ誇りになる年頃。かわいいものだ。その中にハイチュウがあった。歯ごたえをこよなく愛する僕は、今でもつけ麺が好きで、コシが強い麺が好きで、ご飯は固めで、ぬれ煎餅はせんべいの風上にも風下にもとても置けないと信じているのだが、当時からその趣向は健在で、ハイチュウなんてナンパな食べ物は食べないと意地を張っていた。グミ?馬鹿にしているのかい?しかしどうしても友人がハイチュウおいしいと言ってきかないため、僕は仕方なくグレープ味のナンパなチューインガムを食べることとなった。一粒食す。悪くない歯ごたえに続き口の中の温度で溶けてふやふやになっていく触感。ハイチュウはせんべいこそすべてと高らかに謳っていた僕にカルチャーショックをもたらした。ハイチュウ旨い!うまい!僕は人が買ってきたハイチュウの虜になり、ハイチュウをむさぼった。ちょうどそのころ。僕の口腔内は大人の階段を昇っている真っ最中で、左の下の奥歯が最後の乳歯として生き残っていたのだがついに地盤が緩んでぐらつきだしているところであった。気になって気になって仕方ないものだから朝から晩まで柳葉敏郎のごとく奥歯をベロで触っていた。痛いのは嫌だった。抜ける時に抜けて欲しいと思っていた。ビバ無痛分娩。だからハイチュウも慎重に慎重に右側の奥歯で噛み、とろけさせていた。だが、目下球技の真っ最中である。歌いながら踊るのが至極難しい様に、口の右サイドでハイチュウを噛みながら球技をするのは至難の業だ。力んだ瞬間、ハイチュウは不意に左サイドにうつり、食いしばった歯の板挟みになったと思えば僕の左下の奥歯を吸着して離すことはなく、次の「クチャっ」いわゆる咀嚼で最後の乳歯を介錯したのであった。なめ腐っていたハイチュウに心を許した瞬間に裏切られたようだった。「信じた瞬間裏切った」とは、BUMP OF CHICKENの楽曲「ラフメイカー」の一節だが、BUMP OF CHICKENに出会う遥か昔に僕は身をもって信じる怖さを知っていたのだった。

取り急ぎ、歯医者を明日予約したので銀歯を入れる目途はたちました。

歌うたいの風呂ット居間ット家ット

もうすぐ北海道から東京へ戻らねばならない。ここ一週間、毎夜毎晩出かけては飲み食いをしていた。外は白い雪の夜。でも居酒屋の中は本当に温かくて思い出話に花を咲かせまくっていた。百花繚乱であった。

外出先でも羽を伸ばしていたのだが、何しろ実家である。父と母が仕事に出た後、僕が自意識をこじらせに図書館に行くまで、実家で一人になる。お留守番状態。東京の集合住宅で出来ない事をしようと、ギターを弾き、ピアノを弾き、歌う。なんだ、一人の時間は兎にも角にも歌い散らかしている。特に中島みゆきが堪らなく気持ちいい。衒うことなき環境下、歌のうまさなんてどうでもいい自意識が底をつきた状態で歌う中島みゆき。特に用もないのに風呂に行って、エコー効かせて歌う。叫ぶ。腹の底から声を出す気持ちよさを僕は思い出す。

集合住宅でも別に気を使いまくっているわけじゃないのだが、やはりどうしてもボリュームは下がる。隣の部屋の物音がたまに聞こえるたび、部屋の中で歌うことがはばかられ、カラオケに行くのも面倒だから鼻歌で我慢する。ウィスパーボイスで中島みゆきを歌っても何も面白くないもので、たいていそういう時は昔聞いていたバンプオブチキンあたりのつぶやきソングを口ずさむ。

抑圧された欲求はのど元迄せり上がり、一軒家で隣の家とも十分に距離が保たれている実家に着た後解き放たれた。無意識のうちに溜まった鬱憤を晴らすかのような叫び。「地上の星」「命の別名」「たかが愛」「浅い眠り」。

あぁ、なんでしょう、東京戻りたくありません。

緊張感を持ち続けるということ

今、図書館にいる。地元の図書館だ。去年だか一昨年に建て変わったピカピカの図書館。そこはかとなくおしゃれな気分になれる。一生かかってもまず読み切れないであろう量の蔵書に圧倒されながら、手の届く範囲の本を読んだり、どうしても受けろと言われて受験を決めた微細な資格試験の勉強をする。1月末というと全高校生が毛羽立つ時期でもある。センターが終わり、悲喜交々の点数を掲げながら各人志望する大学に突っ込んでいく。二次で逆転。二次で逃げ切り。センター利用。昔懐かしの受験用語が飛び交う。僕が今腰掛けている机の両隣と向かい側が受験生だ。自己採点と復習を繰り返し、知識を何度もなんども擦り付けては自分のものにしていく様は、雪だるまを作る過程によく似ている。転がして転がして大きくしていく。ミクロでみたら反復にしか過ぎないが、マクロで見ると大きな塊を生成しているのだ。

家でやるより図書館でやったほうが捗る経験は誰もがなんとなく理解できるだろう。家だと誘惑が多いからといって、いそいそと出かけては学びに励む。家よりも外が集中できる理由は誘惑の数などではなく、他人の目があるという一点に尽きる。他人の目に晒される緊張感こそ、最高のスパイスである。

人間誰もがよく見られたい欲を持って生きている。着飾るのも、髪の毛をなんとかするのも、化粧も、髭剃りも。たいていの人の寝まきが絶妙にだらしがないのは、誰にも見られない代物であるからだ。緊張感がまるでない。例えば勉学に励む時。息するように勉学できるような勉の申し子はいいだろうが、僕のような怠惰マンは律して律してやっと机に向かう。緊張感がないとすぐにダレる。だからこそ、自室でコトを運ぼうとするとびっくりするほど上手くいかない。気づけば歌い出し、踊り出している。しかし図書館での僕は違う。背筋が伸び、颯爽とノートを開き、ミミズの這ったような文字をそこに刻みつけていく。そう、巧みに勉の申し子を演じるのだ。どうやら情けないほどに人前ではいい格好をしたいようで、大したことやってないのにさもやったったる感を滲ませてしまう。

自意識が華麗に大車輪しているとはいえ、結果として自意識ゼロになりがちな自室とは見違えるほどの捗り方をする。「彼を知り己を知れば百戦危うからず」とは孫氏の言葉だが、まったくその通りである。この自意識を飼いならし、自ら緊張感を生成できるようになった先に、百戦危うからずな未来が待っているはずだ。

もちろんこの文章をしたためている間も、僕はさも大層なビジネスを進めているかの如きすまし顔でスマホを叩いている。たまに物憂げな顔して外を見つめたりして、世界経済を憂慮してるふりしてはせっせとスマホを叩いている。もう暗い。夜だ。窓ガラスに映った物憂げな顔は、とてもじゃないけど一戦すら危ういマヌケ顏であった。

北山修作詞の歌詞に秘められた覚悟と寂しさ

一昨日我が家と叔父夫妻で飲み会をした後、叔父と二人でカラオケバーに行って二人でさんざん歌った。両親のおかげで50代60代の方との最大公約数的楽曲に多少の耳なじみがあるおかげで、叔父とも盛大に盛り上がれる。現在68歳の叔父だ。年の割には若くて、肌のしわこそなかなかに深いもののその気持ちといで立ちからしたらうちの会社の定年間際の方々と大差ないくらいの老け方だと思う。まぁなんだ、若い。

洋楽だったらビートルズだったりストーンズLennon-McCartneyが楽曲提供した歌なんだとか言って、耳なじみのいいR&Bを歌ったりしていた。日本の曲だと、僕は伊勢正三が精一杯の抒情フォークなのだけれど、叔父にとってはグループサウンズであり、はしだのりひこであるからして、北山修の歌詞なのだ。また叔母がめちゃくちゃ歌が上手い。一昨日は一緒に行かなかったのだが、帰郷の度に一緒にカラオケに行く。そこでよく歌ってくれるのが「花嫁」である。

花嫁は夜汽車にのって とついでゆくの

あの人の写真を胸に 海辺の街へ

命かけて燃えた恋が 結ばれる

帰れない 何があっても

心に誓うの

 一番。

言葉少なに紡がれる花嫁の状況。親から、周囲からはいい顔をされずに半ば駆け落ち同然に飛び出してきた姿。強情なほどに恋にすがっているのがわかる。この危うさが曲が持つ寂寥の念を増している。

帰れない 何があっても 心に誓うの

この一節が堪らない。とにかく危うい。危ういからこそ切ない。

たぶん僕がこの花嫁の友人だったら嫁ぐのを止めるだろう。事情は知らないが、そんなに反対されているならやめといたほうがいいんじゃないかなぁ…どうしてもって気持ちはわかるけどなぁ…って言いながら止めるだろう。どこか現実離れした危うさ、自分にはない勇気、これらにひどく心を打たれる。花嫁がこの先どういった人生を送るのかはわからない。もしかしたら周囲の忠告の通りに思うような生活が出来ず、頭下げて帰ってくることになるのかもしれない。でも、この瞬間の覚悟は本物だ。帰らない。帰れない。

叔父が好きな歌が「風」だ。 

人は誰もただ一人旅に出て

人は誰もふるさとを振り返る

ちょっぴりさみしくて振り返っても

そこにはただ風が吹いているだけ

人は誰も 人生につまづいて

人は誰も 夢破れ振り返る

故郷を思って振り返るときは辛い時が多い。現状がつらくて、あの頃はよかったと振り返る。でもそこにはただ風が吹いているだけ。思い出が転がっているわけでも、慰めが待っているわけでもなく、ただ風が吹く。辛いことから逃げられればいいのに、北山修はそれを許さない。「人は誰もただ一人旅に出て」「人は誰も人生につまづいて」と全員に挫折を経験させ、「人は誰も夢破れ振り返る」。でも、「そこにはただ風が吹いているだけ」。四面楚歌のような状況だ。曲の最後の一節、こう締められる。

何かを求めて振り返っても

そこにはただ風が吹いているだけ

振り返らずただ一人ただ一歩ずつ

振り返らず泣かないで歩くんだ

さみしさに負けちゃいけない。振り返らないで、歯を食いしばって泣かないで歩くことしかない。風しか吹いちゃいないことは判り切っているのだから一歩ずつでも歩を進めていこう。すごく建設的なメッセージでありながら、感情を突き放したさみしさを内包しているように思う。

 

僕たちは何かを選ぶ時、当然のごとく他の可能性を排除していく。北山修が書く歌詞は、優しい言葉に包みながらも取捨選択にまつわる覚悟を迫る。決定とは裏腹の寂しさや後悔を認めたうえで、「負けずに歩け」「振り返るな」「もう二度と帰れない」と時に諭すように、時に自分を鼓舞するように語る。

リズムに言葉を乗っけることに苦心して、意味が分かったようなわからないような曲が多く産み落とされている。そういう曲は歌っていて、聴いていて、とても気持ちがいい。現代人の耳になじむのだろう。この帰郷の折、北山修の詞をしみじみ聴いて、読んで、あらためて日本語を日本語として消化し、ジーンときている。振り返らないで歩かなければならない。振り返ってかまってくれる人はいつまでもいるわけじゃない。自分で自分の道を切り拓いてこその人生。一歩ずつでも歩くんだ。

僕たちは自然には勝てない。繰り返す。自然には勝てない。

帰郷三日目。順調にあいさつ回りに邁進しております。北国オホーツク、極東の地にて。

高校時代の恩師が理科専門のために天気図が読めるもので、彼独自調べの天気予報はyahoo天気以上気象庁未満の的中率を誇ると巷では噂である。ウェザーリポーター恩師と一昨日会った際、「明日の未明から明後日にかけて暴風雪になるよ、君はこのために帰ってきたんだね、仕事できるね、よかったね。」と嬉しいようで苦しいような労働宣告をされていたのだが、ものの見事に昨日の夕方から天候が荒れだし、夜のNHKの天気予報で「オホーツク海側は明日夕方までに60センチの積雪」なる最後通告を突き付けられたが最後、朝の光景は一面の大雪原であった。

風の中のすばる 砂の中の銀河

中島みゆきが歌った地上の星であるが、今朝の北見近辺に吹きすさぶ風の中には粉塵の如き雪が散っているのみであり、すばるは間違いなく含まれていない。すばるって何なのかよくわからないけど、すばるだけはない。上から降っている雪か下から巻き上げられた雪か、 甚だわからないまま二車線あった道路は吹き溜まりとなり一車線に狭まり、平らだったはずの台地に丘陵を作り上げる。なに、公園とか空き地に丘陵が生まれる分には全く構わないのだが、玄関の前とか車の前とかに率先して積りよるからほんとふざけんな雪ふざけんな。

田舎の朝は早いもので、父は6時半に雪の中へ消えてゆき、僕は8時前より父が何とか出勤していった後のハウスキーピングに繰り出した。父が車を出してから一時間半、父が通ったはずの轍は消えており、やはりそこには一面の銀世界が広がるばかりであった。スノボ用のダウンにズボンを履き、ミシュランのイメージキャラの如きもこもこルックスが黙々と銀世界に挑む。ママさんダンプ、スコップ、クジラスコップ。雪かきにおける三種の神器を駆使し、雪原をかき分ける。お分かりいただけるかとは思うのだが、雪かきは全身運動である。雪を投げる時に足腰腹筋をうまく連動させない事には雪山の上に乗っからず逆に雪が中途半端に風にあおられて飛び散り、余計に散らかる羽目になる。だから雪を丁寧にぶん投げる必要があるわけだ。全身運動で火照る身体からは汗が噴き出るが、外気はマイナス10度なので指先などの末端は冷え切る。極地を赤道が同時に体の中に存在する不思議体験ができる。熱い!寒い!熱い!と夢中になって雪かきに邁進し、ふと後ろを振り返ると、かき分けたはずの雪原がまた雪原になっている。原状復帰の能力が高すぎやしないか。僕は雪かきを諦めた。市の除雪車が来るのを待っている。

 

雪かきをしながら、東日本大震災における原発事故において、果たしてあれは天災か人災かといった議論が巻き起こったことを思い出した。確かに、対応や予防など諸機能がうまく働かなかった面もあるだろう。その点では人災なのかもしれない。しかし一度、北見に雪かきに来てみるといい。山のような雪を崩したと思ったらまた後方に山が出来ているのだ。自然とのどうしようもない力の差を思い知る。勝てっこない。都会ではうまく自然の力を抑え込んで自然と共生している(むしろ自然をコントロールしている・勝っている)気になっているが、そいつは気のせいである。天災から引き起こされる不具合を人災と置き換えるから、テクノロジーが進歩していく面はあろう。ある種自然と切磋琢磨出来ているのかもしれない。でも基本、勝てない。自然には勝てない。自然の掌の上で踊るしかないのだ。雪かきで精も根も尽き果てた後の所感であった。

にしても身体がなまった。鍛えなおさねば。