徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ワインオープナーがクリオネに見えることでしばらく遊んでいる

家で酒を飲む生活が定着してきました。これは、大変悪い傾向であると捉えています。

 

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これまで僕は酒なんかなくてもリラックスできたし集中していたのですが、いよいよ持って酒に寄りかかりながらのリラックスと集中となってまいりました。これがタバコの人はタバコに寄りかかるのでしょうし、イケナイお薬の人はそれに寄りかかるのでしょう。田代まさし、君の気持ちもわからないじゃないかもしれない。何に変えても酒を飲むようになってくる。これまでは交際のための酒が、我が身のための酒へ。堕天だ。

 

さておき、大抵焼酎か日本酒をちびちびやるのですが、今日はワインを開けました。順調に家に酒が集まりつつあります。

遥か昔に付き合っていた彼女とワインを飲もうとした際、ワインオープナーがなく、革靴にワインのそこを当てて壁に打ち付けるという方法で無理やり開けてからというもの、我が家にもワインオープナーが常駐するようになりました。

こんなタイプのやつです。

 

 

真ん中のドリルみたいなのをグリグリやって、取手を持ち上げて、引っこ抜く。おそらくは一般的なワインオープナーなのではないでしょうか。

こいつ、取手を真横にあげるとクリオネみたいな形になるんですよ、わかりますか。取手をパタパタさせると、本当にクリオネが水中をパタパタやっているみたいなんですよね。あぁ、泳いでいるなぁ、クリオネがパタパタしているなぁ。キコキコと取手を動かし、眺めていると、気付いたら10分くらい平気で経っています。これもまた、恐ろしいことです。

ワインを飲みたい、ワインを飲むための道具で、ここまで時間が潰せる。でも、ワインを飲まないとここまでワインオープナーが可愛く愛おしく見えることもない。ジレンマですよね、ジレンマ。

きいこきいことワインオープナーを弄りながら眺め、深い夜と深い酔いの暗がりへ潜っていく、そうした、夜でございました。

「ボーダー 二つの世界」を観ました。

観ました。

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面白い映画はたくさんあると思う。最近で言えば、名探偵ピカチュウも面白かったし、クレヨンしんちゃんも面白かった。アラジンもライオンキングも面白かった。

「ボーダー 二つの世界」は、親父から勧められた。原作小説を読んだらしい。面白いようだから観てみてくださいと言われたので、暇を縫って観てきた。たまたま横浜、みなとみらいのシネマで上映されていたからよかった。

本日14時半からの上映で、16時半に終わり、みなとみらいのシネマから横浜駅までの道、帰りの電車、駅から家までの道、ずーっとモヤモヤとしている。これは「面白い映画」として咀嚼してしまっていいのだろうかと、悶々としている。

 

物語は、何か不気味な霧のようなものにずっと覆われていたような気がした。ビビリな僕は、ずっとハラハラしながら観ていた。

構成としては、メインキャストのティーナが、もう一人のメインキャストのヴォーレに、世間一般の「人間」と自分との差が何に起因するものなのかを明らかにされる前半部分と、人とは違う存在であるティーナとヴォーレが、人間の醜さにそれぞれの方法で向き合う後半部分に分かれている。

「ボーダー」とは、境界である。境界があるということは、差が存在している。

生まれたばかりの赤子は、まだ自分と世界との区別がついておらず、成長の過程で世界と自分を分けて認知できるようになる…と、確か認知心理学か何かで学んだ知識が、映画を見ながら頭をよぎった。人間は、無意識のうちに区別をする生物なのだ。少なくとも区別をすることで成長を遂げる生物だ。

そうした生き物が織りなす社会だから、区別と差が溢れる。

その差を認めた時に、何を普通とするか。普通とされるものが、普通ではないものと向き合った時に、普通ではない物をどう扱うか。普通ではないものが、普通から虐げられた時、どう感じるか。また、普通ではないものが、普通とされるものの醜さを見つけた時に、どう感じるか。

僕は、劇中の普通と普通でないものの物語を、自分が感じてきた差や区別に置き換えて観賞した。多分、本作を観た誰もがそうなんだと思う。

 

映画を見ていて上手いなぁと思ったのが、あからさまに世の中に溢れる差を提示するのではなく、実在しない差を提示することで、一人一人が感じている差を想起させていることだ。一般化を失敗すると、誰にも共感されない悲しい作品となってしまうが、この映画は不思議と考えさせられる作品だった。それは映像から起因するものなのか、なんなのか、わからない。

 

映像としても素晴らしい作品のようだ。僕自身の映画を見た本数が多くはないので、映像表現の良し悪しを語る術を持っていないことが残念であるが、件のセックスシーンは忘れえぬものとなった。真夜中にあのシーンだけ見たら笑ってしまうかもしれないが、ティーナが生きている様子を垣間見たあとであのシーンを見ると全く笑えない。衝撃的である。

 

誰かと見に行くというよりは、自分が感じてきた差や区別、差別を思い出し、ずずーっと感情移入していくべき映画だと思う。

近くに上映している劇場があるのならば、一日ゆっくり考えるだけの時間を用意した上で、観賞してみてください。

 

個別具体的な内容について語るだけの言葉がなかったなぁ。

 

一人で酒を飲むということ 追記

まだ飲んでいる。

 

 

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酒を飲むと頭が冴えるという人がいるが、これはある面で事実であると思う。件の、「雑音が聞こえなくなる」効能が、「頭が働かなくなる」副作用を上回っている場合、明らかに頭が冴えたかのような気になる。酒量のキャパが多ければ多いほど、このゾーンに留まり続ける時間は長いが、酒など遅効性の毒である。いつカツーンと効いてくるかわからない。

聞こえなくなる「雑音」は、外部の雑音と内部の雑音双方である。外部の雑音は先の記事に書いたが、内部の雑音が聞こえなくなるのもこれまた便利だ。

例えば、「肌がベタベタするな」と感じたとする。

この時、「風呂に入る」選択肢が上がってくるだろうが、「面倒臭い」といった雑音が阻害要因となって行動に移せない場合が多々ある。

酒によるノイズカット効果は、こういった面倒臭いにも効いてくる。

一定程度飲んで脳味噌が機能停止するまでの間、スーパー行動的集中人間が誕生するのである。すごい!素晴らしい!

 

いよいよ、ヤバい気がするので、大人しくしようと思います。

一人で酒を飲むということ

今、僕は一人で酒を飲んでいる。

 

本日は、即位礼正殿の儀があったから、、、などとは全く関係なく、自らの休日を消化せしめんとしたただ休日だった。丸一日予定と言う予定がない最高の休日であった。午前中、テレビでは即位真っ盛りだったので、日本国民たるもの象徴が象徴となる瞬間を見届けねばとテレビを脇見にしながら曲を作ったりしていた。何しろ雨である。出かけるなどの選択肢はテーブルの上にも出ない。

思い立ったように洗濯をし、 流れで散らかっていた部屋を片付けた。僕は、決められたものを、決められた場所に置くことが苦手だ。パソコンのフォルダは恐ろしく散らかるし、部屋も、物量が多くはないからそこまで荒れないが、同様だ。手にしてから1年経って結局ノータッチだった書類を思い出したように一気に捨てる。こうしてみると、必要なものなんてそう多くないのだろう。なぜ、チラシや書類を「一旦取っておこう」と判断してしまうのか。謎だ。即捨てで全く問題ない。

一度幕を開けた掃除劇場はクライマックスを迎えるまでは続く。ゴリゴリゴリゴリと片付けて、ビニールの山を量産、ゴミの日まではビニールマウンテンとともに暮らすこととなった。

劇場の幕が降り、また曲などを作っていると、いいメロディが浮かんで、それなりに今の心情を表した歌詞が乗っかり、曲の形ができてきた頃には、雨はすっかり止んでいた。

走りに出た。

キロ5分の可愛いランニング、しかも3キロしか走らない。が、長距離苦手人間からすると死寄りの死活問題である。心臓と血液をドクドクさせながら走り切り、動きづくり、流しをして、帰路。すでに晩ご飯の時間である。

鍋を作った。

鍋と、冷やしておいたビールを飲む。

今、我が家にはビールがあふれている。叔父の会社に届いたお中元やら何やらをこの間の法事の折に頂戴してきた。ついでにコストコにも行ったため、つまみも豊富である。そんなわけで我が家は飲兵衛殺戮マシーンと化している。

まだ心拍が四つ打ちアゲアゲEDMを奏でている時分からビールと鍋を注入する。

 

キマる。

 

人類には、2種類の人間がいる。

お酒を飲んで気持ち良くなる人と、気持ち悪くなる人である。いや、究極、一種類しかいないのかもしれない。特急電車に乗り、気持ち良く駅を通過した先の終点が、「気持ち悪い」だ。だが、気持ちいい境地に突入できる人と、できない人がいるのは事実だ。

 

僕は気持ちいい境地に容易に突入できる人間である。これまでの飲酒経験からして、人と飲んでいるときは大変陽気な人間になることを把握している。これが、一人で飲んでいるとどうなるかと言うと、ものすごい集中状態に入った気になる。

この、「入った気になる」と言うのは、聴覚が衰えることと同義なのではないかと思う。

僕は普段、音に敏感だ。ということを、最近気がついた。気が散るきっかけは必ず音である。会社で資料を作っていても、人の会話に気にとられたりする。聞きたいものと、聞かなくていいもののフィルターがうまくかからないことがままある。

が、一人での飲酒にて聴力を欠損すると、他の要素に囚われることがなくなる。これは嬉しい。今も猛烈にキーボードを叩いている。右側では日本シリーズが流れているが、把握しつつも聞かないでいられる。素晴らしい。

 

なるほど、このようにしてアルコールに溺れていくのかと、恐ろしい思いも同時にしている。

中原中也などは飲んでいなきゃいられない体だったとどこかの本で読んだ。それも、飲酒による集中状態(のような境地)を追い求めてのものだったのではないか。この意味もわからない無敵感は、何にも変えがたい。

また、やってしまいそうな気がする。また、一人で酒をゴリゴリ飲んでしまいそうな気がする。ビールがなくなるまで、血液の循環をよくしてからキメに行きそうな気がする。

それも一興だろうか。

さて、シャワーでも浴びてくる。

日食なつこ「あのデパート」

故郷にはその昔、デパートがあった。北見東急である。

「北の墓場」とも揶揄される最北の国立大学、北見工業大学。その初代理事長が、東急電鉄の創立者である五島慶太だった。北見に工業の学府を設置しようとの話が持ち上がった際、資金を援助したのが五島であり、その後北見は東急グループに支えられて発展を遂げた。北見に東急デパートが最近まで営業していたのはそうした事情からだった。

僕の母は千葉県佐倉市出身であり、鉄工所の娘として育った。「製造業は粗利がいい」と母は言うが、設備の減価償却さえ終わってしまえば、経費としてかかるのは人件費と材料費くらいなものである。そう考えれば、確かに営業効率はいいのだろう。母も若い頃は銀座や千葉のデパートでよく遊んでいたようだ。

温暖な気候で育った母が北の果てに嫁いだ訳は、頭のネジが数本外れていたことと、街にデパートがあったこと。であると、僕は思っている。北見東急が閉店して10年ちょっと経つが、いまだに、寂しいね、東急があったらね、と話す。

ちなみに、東急があった場所は今市役所に建て替える工事を行っている。建て替え以前は市が運営する商業施設兼行政施設となっていた。かつて市役所があった場所には日赤病院が増築され、東急と双璧をなしていたHOWという商業施設(あれはどこが運営していたのか。)は壊されて信用金庫が建てられている。市の中心部では商業施設と行政・金融インフラの置き換えが激しい。そりゃ寂しい街になるわな。まぁよしとして。

 

セブン&アイが大胆な構造改革を断行すると発表した。地方のデパートやスーパー、不採算店舗を閉め、正社員は本社か別の店舗に、契約社員は契約解除に。3000人規模の人員整理。それは全従業員の約2割に当たる。大規模リストラと言える。

企業は利益を追求する存在であるとすると、原則、入れた水より出る水の方が多い桶ではいけない。いわゆる赤字である。赤字が続く事業をどう立て直すかは経営の腕の見せ所だし、赤字にさせないために全員で営業努力をする必要がある。もしそれでも、どうしても採算が取れず、見通しが立たない場合には店を閉めるのも一つの経営判断として市場に受け止められる。実際に、セブン&アイの株価は人員整理を発表してから最高値をつけた。

 

タイトルの、日食なつこがどういったシンガーかは、この場では割愛する。好きでよく聴いている。

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「あのデパート」は、確か父から紹介してもらった曲だったと思う。

社会人1年目か2年目の頃、東京に父が遊びに来て、我が家に泊まった際に聴いていた記憶がある。こんな曲も聴くのかと驚いた。

日食なつこの地元、岩手県花巻市で営業していたマルカン百貨店の思い出を歌った曲だ。

あのデパートの最上階から見た

この街の景色が果てしなく思えていた

あの頃の僕らはずっとずっといるんだ

次の夏になくなってしまう あのデパートに

北見東急の姿が、少しだけ重なる。

東急の二階、隣に建つ立体駐車場に繋がる屋外の通路で鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだ覚えがある。ちっちゃなシネマで上映される映画を見にいったのも東急だ。日食なつこが抱えるような鮮烈な体験が体の奥底に眠っている訳ではないかもしれない。けど、僕の子供時代を振り返った時に確実に北見東急は存在している。

 

今、世間的には比較的珍しい立場でデパートに関わっている。デパートのことを一生懸命考えなければいけない、そんな立場にある。

バブル期に乱立した地方にある「デパート」は、たくさんの土地と人とモノを集めて、家族づれの休日の受け口となり、郊外の一つのシンボルになった。屋上の遊園地や、「あのデパート」の中で歌われている食堂なんかは街の住民たちの心象風景として残っている。しかし時代は下り、「デパート」という象のような業態は時流に適さなくなった。少なくとも、世の中では事業整理の対象として見られるようになった。

北見東急がそうだったように、セブン&アイの構造改革がそうだったように、お店の財務諸表を捉えて、事業の存続を冷静に見ていく経営判断は必要だし、その面では正しい決断だと思う。

ただ、「僕にとっての」北見東急がそうだったように、「日食なつこにとっての」マルカン百貨店がそうだったように、心象風景として、街の風景としてのデパートがなくなるということは、とてつもなく寂しいことだ。働いている人も、街としての魅力を保ちたい行政も、みんなが寂しい思いをすることだ。

もしかしたら、デパートの業態が昔と変わらずに残っているからこそ、僕らは寂しさと懐かしさをデパートから感じるのかもしれない。時代の流れと相反する部分で市民が懐かしさを感じ、一方ではその業態が整理の対象となりつつある。なんとも皮肉だ。

 

思い出すらも美しい。日食なつこの曲を聞いたらそうも思えるが、悲しみや寂しさを濾過した上澄みが思い出とも言えるだろう。本当なら、悲しい思いや寂しい思いをする必要はないし、させてはいけない。デパートとして、新しくなっていかなければならない。象のような大きな体を揺らして、生き残っていかなければならない。

次の夏になくなってしまう

あのデパートに

言葉では表しきれない感情を理解しきるのは難しい。だからこそ、生き残っていかなければならないのだ。

この、行き場のない謝意をどこへ

僕は今の今まで、よくよく目をかけていただいている人と飲んでいた。普段通り、楽しく飲んだ。何一つ普段と変わりない夜であった。蒲田に帰り、徒歩でてくてく歩いて帰る。そこまで酔っ払ってはいない。家路は記憶にある。健やかなそれだ。

家に着いた。鍵を取り出す。ドアの前に立つ。鍵を回す。ガチャガチャやる。どうやっても、ドアが開かない。なぜかわからないが、開かない。

実は今日、母が家に泊まっていた。祖母の三回忌に祭して、北海道から上京していたのだった。僕の出社の後に、母が家を出て、ポストに鍵を入れてもらっていた。

なるほど、母が何かやったに違いない。母に電話をした。その時点午前1時半。深夜である。確実に眠っていたであろう母が電話に出る。

ごめんね、特に変わったことはしていないんだ。ごめんね。

そうか…困った。どれだけ回してもシリンダーはうんともすんとも言わない、ダメだ、今宵は長くなりそうだ。どこかホテルに行くか、向かいの居酒屋に逃げ込むか。どうしよう。ひとまず下に降りよう。エレベーターをおす。

二階です。

二階です。。。

二階です?

ご存知かどうかわからないが、僕の部屋は三階である。

二階の、同じ位置の部屋にシリンダーをガチャガチャしたところで、開くはずがない。ほほう、よかった、三階に上がろう。三階に上がって、自室に問題なく入れてから、じわじわと申し訳なさが込み上げてきている。

 

被害者は二人だ。

母と、下の住人。

母はいい。別にいい。寝入ったところを起こしたのはゴメンナサイだが、ゴメンナサイでしかない。すぐ電話をして事情を話して謝った。

問題は、下の階の住人である。

考えても見ろ。真夜中1時半に突然家のシリンダーをガチャガチャやられるのである。恐怖以外何がある。いや、ない。僕はおそらく耐えられない。そんな罪深き所業を素知らぬ顔で、しかも被害者顔でやってのけたのだ。僕は。

穴があったら入りたいし、入った穴に土でもうっすらかけてほしい。

それほど酔っ払ってはいなかったはずなのになぁ。どうしたものかなぁ。

明日明後日にでも、お詫びのお菓子でもドア前に下げて置こうかと思う。

 

大変、申し訳ございませんでした。

最近また走っているのですけれども

ここ1週間ほど、朝走っている。

3年ほど前も毎朝走っていた時期があった。あれは半年ほど続いたロングランであった。が、冬になり寒くなったがために動くのが億劫になり断念した。冬は細胞の活動が鈍くなるから仕方ないと言い聞かせながらフェードアウトし、その後は走っては止まり、走っては止まりで、継続したランはしてきていない。

ではこの度、何が起こって、走っているかだが。

当方、物の管理が大変苦手である。いや、あらゆる時間も日程も含めあらゆる管理が苦手である。それでも社会で働けるから大丈夫だよと、世の少年少女たちに自信を授けたい。まぁそれは置いておいて。

管理できないと頻繁に物をなくす。簡単に紛失する。予定を失念する。つまるところ、先日、財布を忘れて駅までたどり着いたことがあった。駅まで徒歩20分。その時点で計40分の徒歩を喉元に突きつけられたのだった。会社はすでに間に合わないため、腹をくくって歩いた。暗澹たる気持ちとは裏腹に晴れた空に秋の風。意図せず明るい時間に家路を歩いている不思議。色々合間って、何か変な脳内物質が出たらしい。途轍もない多幸感に包まれながら財布を取りに戻ったのだった。

あれ、これは秋に歩いたり走ったりすると気持ちいいのではないか。あの家と駅の往復から、「物を取りに帰る惨めさと仕事に遅刻する情けなさ」を引いてあげれば、幸福感しか残らないのではないか。

思いたったが吉日である。翌日から走っている。毎朝5時50分に起きて外に飛び出す。そうして早1週間。QOLはそこそこ上がっている気がする。まず、血圧が一回がっつり上がった状態で仕事をスタートするため、出勤時点からやけに一人明るいし元気だ。あと、走るのは気持ちいいだけではなく一定の負荷がかかる。苦しいのである。呼吸と筋肉の苦しさは生命に直結する苦しさであり、仕事のストレスなど大したことないように感じられてくる。社会的な苦しみなんかより5キロのマラソンの方が直に死ぬかと思う。

などなど、総じてプラスの効果が多いのだが、如何せん、めっちゃ眠くなる。マラソンした日の眠気と疲労感が普通じゃない。

距離を短くすればいいとか、もっとゆっくり走ればいいとか、アイデアはあるのだが、いらないところで妥協したくなくなり、オールアウトに近い頑張りをしてしまう。結果、エネルギーが切れるのも非常に早い。こればかりは継続しかないのだろうなと思う。1週間で何を言っているのだと。半年一年続けてからが勝負だろうと。

この冬が山だ。アンダーアーマー買って退路を断とうか…

僕たちは、勝つと信じてやってきた

日本がアイルランドに勝った。ラグビー界の力関係、勢力図をきちっと把握できていない僕のような人間にとって、この勝利の本当の重みを理解できてはいないのだろう。これまでアイルランドに9戦して9敗した、どの試合も見たことがない。

だが、勝ち目のない相手に勝った事実はわかるし、実際に試合を見て、勝ち目のない相手に挑んでいく格好よさを改めてまざまざと見せつけられた。

僕たちはこの1週間、アイルランドに勝つということを信じて準備してきた。

国民の皆さんも、僕たちのことを、信じてください。

言えたものではない。自分たちが何より、自分たちのことを信じているから、皆さんも信じてください。それも、信じ抜いて勝った直後に言われたら、僕たちも信じるしかない。

全員が本気で、全員が一つの目標に向かって、信じて、準備をしたのだ。完璧なゲームプランを遂行して、アイルランドの体力を奪って、愚直に突っ込んでくるアイルランドの攻撃を跳ね返した。格好良かった。本当に。人種なんて関係ない。同じジャージを着たら、全員が日本人だ。同じ方向に向かって、同じジャージを着た人間が突っ込んでいく。信じて、突っ込む。

 

いい試合をみさせてもらった。

静岡には今勝利を祝う花火が上がっている。

感動した。

ラグビーを観ながら一人、泣く。

ラグビーを観ています。日本対アイルランドです。

ひとり薄暗い部屋の中で男と男の肉弾戦を見つめる。全くの格上、アイルランドに立ち向かう15名の日本人。エコパスタジアムは赤と白と緑に染まる。

日本人はジャイアントキリングが大好きだ。判官贔屓の国である。多勢に無勢でも、無勢がかつ物語を好む。まさに今日の試合がそうだ。自国が圧倒的格下。大好物のシチュエーションである。

そして一人、僕は泣いている。なぜだかわからないが泣きながらラグビーを観ている。リーチが出てきたときからなぜか涙が止まらない。酔っ払ってはいない。素面である。

 

一方的にやられることなく、決めるべきゴールを決めて、日本もアイルランドに付いていっている。負けていない。

ハーフタイムで感情としては落ち着いたが、またグゥーっときて泣く気がする。一度瓦解した堤防からは止めどなく水が溢れ出す。

あと40分、わからない。

大家さんが亡くなった

2011年の春が始まる頃。日本列島に読んで字のごとく激震が走った。東日本大震災である。日本の左半身が水に飲まれ、火の手が上がり、原発が暴発し、2万人近くの命が犠牲となった。あの惨状を僕はテレビ越しに眺めていた。二週間後に上京を控えながら。

始めての東京は、余震が残り、物資が不足する街だった。世田谷区の調布寄り。漏れなく計画停電の範疇であり、テレビではまだACばかりがCMを埋めていた。入学式も中止となり、授業の始まりもひと月遅れ、部活に入るも馴染めない。沢山の人の中にいるはずなのに、会話するのはスーパーのおばさんだけ。いっそ殺してくれと思ったあの春の、およそ3ヶ月前に、僕は大家さんと出会った。


アパート決めに母と上京していた僕は、大学と陸上の練習場とに近い場所で家を借りようとした。千歳烏山・仙川・つつじヶ丘。京王線沿い、中堅どころの駅を巡る。2、3件見た中で、ロフトがあって広く、その割に家賃も安かったのが、後の我が家であった。大抵、学生が住むような安いアパートは大家さんが同じ敷地内に住んでいて、内見の際も同行するものなのだろうが、その家は違った。大家さんも少し離れたところに住んでおり、内見に行くと言うと、あらかじめ鍵を開けておくからとのことで、一度も大家さんに会わないまま家を決めることとなった。

しかし僕は、大家さんの声にどうも惹かれた。お婆ちゃんの声なのだが、どことなく艶があるような、魅力的な声だった。部屋を見る前から、なんとなくそこに決まるような予感がしていたのだった。


大家さんは82歳だった。話のテンポも早く、頭のキレもいい。コロッとした、感じのいいお婆ちゃんである。名を、ソノさんと言う。奇遇にも、同じ北海道出身だった。最近は足が悪くなって頻繁には帰れないけどネ。とニコニコ話していたのが目に浮かぶ。

アパートの部屋が空いたら不動産に普段は出しているのだけれど、学生とは直接やり取りをしていて、僕もソノさんの自宅で契約書を取り交わした。

その時はまだ、世に言うキラキラした大学生活になるものと信じて疑わなかった。部活も学業もと、心に期していた。が、現実は甘くなく、見事打ち砕かれたわけである。


僕は生来、人懐っこい性格だ。一人っ子という事情もあろう。大人に沿って、可愛がられるがままに生きてきた。そんな人間が見知らぬ土地で阻害の淵に叩き落されると、本当に生きていけなくなる。

苦し紛れに掴んだのが、ソノさんだった。

アパートで一人になって、いてもたってもいられなくなると、ソノさんに連絡した。ソノさんは出かけていなければいつでも僕を迎えてくれて、近所のセブンイレブンで買ってきたあんみつとかでおもてなしをしてくれた。お腹空いてんでしょ、食べなさい、昨日の夜の残りだけど保温してたから大丈夫よ。と、顔見るなりご飯を出してくれもした。何もない時には近所のジョナサンに行って、ソノさんとソノさんの旦那さんのお話、僕の家の話を日が高いうちから日が暮れるまでした。旦那さんの介護の話は壮絶だった。夫婦の愛とはかくあるべきかと思わされた。登記や確定申告もまだ私一人でやってるのよ。というソノさんの凄さは今改めて感じる。スーパー婆ちゃんである。

ご飯食べがては、季節ごとに近所のツツジやサクラを見に行ったりもした。北海道にはない四季を教えてくれたのもソノさんだった。彼女ではなかった。

そんな調子で、ほとんど毎週のようにソノさんの家に駆け込み、なんでもない話をして帰るのが上京間もない僕の生活だった。ソノさんじゃない大家さんだったら僕の生活は成り立っていなかったと思う。どうかしていたかもしれない。ギリギリいっぱいのところで東京に馴染めたのは、きっとソノさんがいたからだった。

学校も始まり、部活でも結果が出ない自分を見つめられるようになってくると、ソノさんに頼る機会も少しずつなくなっていった。それでも、どこかにいけばお土産は買って帰るし、その折にお話もした。毎週会っていたのがひと月に一回、3ヶ月に一回になったとしても、変わらぬ付き合いを続けていた。


社会人になって、引っ越しをしてからも、頻度はひどく下がったが、度々連絡をした。

足を痛めたけど、ボケたら嫌だから吉祥寺までバスで行って往来を見ているの。それだけでも脳に刺激があっていいのヨ!

電話越しに元気に話すソノさんであったが、結局、僕と元気なソノさんが直接話をしたのは2年ほど前が最後となった。

ソノさんは癌になった。そうとは知らず、社会人になってから一度遊びに行こうと近くまで寄ったのだが、気丈に断られた。きちんともてなせないのが嫌だったのだろう。

僕の母も、中元歳暮に近いようなのやりとりをソノさんとしていた。北海道の季節の野菜を送っていたのである。そりゃ母からしたら息子がお世話になります以外のなんでもない。母から、ソノさんからお礼の電話が入って、こんなことを話した、元気そうだったなどと報告を受けては安心していたのだが、この夏、ソノさんの娘さんから連絡があったと言われた。

終末医療を受けている。気持ちは嬉しいのだが、喉を通る状態ではないから、もう季節の野菜などは送らないでください。

病院の場所もわからない。親類としては、大ごとにしたくないのかもしれない。何よりソノさん自身が、弱った姿を人様に見せたくないだろう。色々考えたが、ソノさんが考えそうなことを守ってあげようと思った。ころころと可愛いが、芯は気丈で強いお婆ちゃんなのである。


程なくして、今日、母からソノさんが亡くなったとの連絡を受けた。

素敵な大家さんであり、心の恩人だった。甲州街道を少し奥に入ったあたりの家、その窓際で、少し高いチェストに腰かけながら甘味を食べる姿を、今更ながらありありと思い出している。

教訓を授けるほど偉そうでもなく、心だけ、あの頃のやるせない寂しさだけをさらってくださった器量に、本当に救われた。なにより強く生きる姿こそが教訓だった。

心底の感謝を捧げたいと思う。