徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

一人で酒を飲むということ

今、僕は一人で酒を飲んでいる。

 

本日は、即位礼正殿の儀があったから、、、などとは全く関係なく、自らの休日を消化せしめんとしたただ休日だった。丸一日予定と言う予定がない最高の休日であった。午前中、テレビでは即位真っ盛りだったので、日本国民たるもの象徴が象徴となる瞬間を見届けねばとテレビを脇見にしながら曲を作ったりしていた。何しろ雨である。出かけるなどの選択肢はテーブルの上にも出ない。

思い立ったように洗濯をし、 流れで散らかっていた部屋を片付けた。僕は、決められたものを、決められた場所に置くことが苦手だ。パソコンのフォルダは恐ろしく散らかるし、部屋も、物量が多くはないからそこまで荒れないが、同様だ。手にしてから1年経って結局ノータッチだった書類を思い出したように一気に捨てる。こうしてみると、必要なものなんてそう多くないのだろう。なぜ、チラシや書類を「一旦取っておこう」と判断してしまうのか。謎だ。即捨てで全く問題ない。

一度幕を開けた掃除劇場はクライマックスを迎えるまでは続く。ゴリゴリゴリゴリと片付けて、ビニールの山を量産、ゴミの日まではビニールマウンテンとともに暮らすこととなった。

劇場の幕が降り、また曲などを作っていると、いいメロディが浮かんで、それなりに今の心情を表した歌詞が乗っかり、曲の形ができてきた頃には、雨はすっかり止んでいた。

走りに出た。

キロ5分の可愛いランニング、しかも3キロしか走らない。が、長距離苦手人間からすると死寄りの死活問題である。心臓と血液をドクドクさせながら走り切り、動きづくり、流しをして、帰路。すでに晩ご飯の時間である。

鍋を作った。

鍋と、冷やしておいたビールを飲む。

今、我が家にはビールがあふれている。叔父の会社に届いたお中元やら何やらをこの間の法事の折に頂戴してきた。ついでにコストコにも行ったため、つまみも豊富である。そんなわけで我が家は飲兵衛殺戮マシーンと化している。

まだ心拍が四つ打ちアゲアゲEDMを奏でている時分からビールと鍋を注入する。

 

キマる。

 

人類には、2種類の人間がいる。

お酒を飲んで気持ち良くなる人と、気持ち悪くなる人である。いや、究極、一種類しかいないのかもしれない。特急電車に乗り、気持ち良く駅を通過した先の終点が、「気持ち悪い」だ。だが、気持ちいい境地に突入できる人と、できない人がいるのは事実だ。

 

僕は気持ちいい境地に容易に突入できる人間である。これまでの飲酒経験からして、人と飲んでいるときは大変陽気な人間になることを把握している。これが、一人で飲んでいるとどうなるかと言うと、ものすごい集中状態に入った気になる。

この、「入った気になる」と言うのは、聴覚が衰えることと同義なのではないかと思う。

僕は普段、音に敏感だ。ということを、最近気がついた。気が散るきっかけは必ず音である。会社で資料を作っていても、人の会話に気にとられたりする。聞きたいものと、聞かなくていいもののフィルターがうまくかからないことがままある。

が、一人での飲酒にて聴力を欠損すると、他の要素に囚われることがなくなる。これは嬉しい。今も猛烈にキーボードを叩いている。右側では日本シリーズが流れているが、把握しつつも聞かないでいられる。素晴らしい。

 

なるほど、このようにしてアルコールに溺れていくのかと、恐ろしい思いも同時にしている。

中原中也などは飲んでいなきゃいられない体だったとどこかの本で読んだ。それも、飲酒による集中状態(のような境地)を追い求めてのものだったのではないか。この意味もわからない無敵感は、何にも変えがたい。

また、やってしまいそうな気がする。また、一人で酒をゴリゴリ飲んでしまいそうな気がする。ビールがなくなるまで、血液の循環をよくしてからキメに行きそうな気がする。

それも一興だろうか。

さて、シャワーでも浴びてくる。