徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

フランケンウィニーを見た感想。

とにもかくにも映画を見ない人間から、少しずつ脱皮を果たしています。

 

先日縁あって、六本木森タワーでやってるティムバートン展に行ってきた。


ティム・バートンの世界 <オフィシャルサイト>

 

案の定撮影禁止だったために何も証拠はないのだけれども。

これまでティムバートンとの付き合いは、何年か前のアリスインワンダーランドを劇場で見ただけだ。更に言ってしまえば、アリスに関しても3Dだからってコンタクトで臨んだところ、途中でコンタクト取れて、ほとんどラジオムービーという惨憺たる結果に終わっている。

 

ほぼほぼ初のバートンとの出会いだったのだが、彼の生み出すキャラクターは、それはそれは愛くるしい。怖可愛い。

レストランの紙ナプキンだとか、メモ用紙とかにお絵かきをたくさんしていた。絵なんて描けたら世の中すべてが遊び道具なんですね。最強だ。

それで商売が成り立つ世の中に若干のジェラシーと諦めを感じて、なぜか爽やかな気持ちで展覧を見終えた。

詳細はリンクからフライアウェイプリーズ

 

そして数日。

どうせならあのキャラたちがちゃんと動いているところを見てみよう。

思い立ったが吉日である。チャリで3分のゲオへ。借りてきました。

 

 

2012年公開らしい。

ティムバートン幻の短編デビュー作に肉付けして映画化したのがこの作品だとか。しかもなんだ、ストップモーションなんちゃらでの撮影。人形をちょっとずつ動かして動画にしていくあれである。5秒撮るのに一週間かかるらしい。極度に高度なピングー。

期待が高まる。わっくわくである。

 

あらすじ

アメリカ郊外のどこかにある街、ニューオランダが映画の舞台。夜になったら必ず天候悪化することで有名らしい。

その街に住む小学生ヴィクターと、その飼い犬スパーキーが主人公。

学校にも大した友達のいないヴィクターは、スパーキーがほとんど唯一の友達。学校から帰ったらスパーキーと遊ぶか、スパーキーを主人公にした映画を撮影するかして日常を過ごしている。この映画がなかなかクオリティ高くて驚く。

ある日、科学の先生が転任してくる。ジクルスキ先生。体の3割方が顔。見てみてほしい。

この先生はまさに研究者上がりの先生で、小学生相手にもガチンコでごまかしなしの科学の話をする。ヴィクターは先生の授業の虜に。

 

そんなある日、父の勧めで野球の試合に出たヴィクター。のび太よろしく、まぐれあたりの一発で特大のホームランを打つ。

家族とともにやってきていたスパーキー。いつも遊んでいたようにボールを追いかける。

一目散に駆け出したスパーキー。ボールに追いつき、振り向いて、ヴィクターの下に走り出した瞬間。車が道の向こうからやってくる。

 

スパーキーは死んでしまう。茫然自失のヴィクター。視聴者も普通に悲しい。

ここまでの日常パートでの見どころはなんといってもスパーキーの愛くるしさだ。何をするにしても可愛い。ティムバートンだから圧倒的に変な見かけなんだけれど、何故か可愛い。

そんなスパーキーが死んだ。視聴者的には案の定だけど、やっぱり悲しい。

 

ヴィクターはしばらく虚無に身を置いたのち、ジクルスキ先生の授業に閃く。

死してなお電気に反応するカエルの筋肉の実験だ。日本でもよくやるあれだ。自分も小学生の頃やった記憶がある。

死んでも電気で筋肉は動く+夜になったら天候が悪化し落雷パラダイスのニューオランダ=スパーキーの亡骸に雷をぶち当てたら…

ヴィクターは墓地からスパーキーを掘り出し、屋根裏部屋兼ヴィクターの映画製作部屋(科学部屋)に運び込み、趣向を凝らしてスパーキーに雷を当てることに成功する。

これこそ思い立ったが吉日。ゲオに行くなんてなんてことのなさすぎることだ。

ヴィクターは見事成功させる。つぎはぎだらけの犬、スパーキーの誕生である。

死んだはずの犬が生き返る。死生を超えたヴィクターの実験の成功。本人もこの実験の危険さに気が付いているらしく、隠し通そうとするが、まぁそううまくは行かないわな。

友達にばれ、親にばれ。

時を同じくして、小学校で科学コンクールが始まる。その出展作品を作成するのに小学生は躍起になるのだが、そんなところにヴィクターの死者蘇生ヒッティング落雷の話である。こんなのみんな真似するよね。

さあ、ニューオランダの町で死んだペットがわんさか生き返えされようとしている夜。

事件が起こるううううう。

 

 

感想

全編通しての見どころは、キャラにあるんじゃなかろうか。

ヴィクターも見慣れてきたらなんてことのない少年に映るがしかし、改めてみるとどう考えてもおかしい造形だ。ヴィクターの友達、スネ夫的ポジションのエドガーなんて猫背の申し子である。二人羽織しているようにしか見えない。

気弱なヴィクターといい、ちょっと陰気なエドガーと言い、性格と造形が似る傾向にあるのかもしれないティムバートン作品。

物語の後半でちょっとしたモンスターパニックになる。そのモンスターもモンスターで可愛い。気持ち悪い。キモカワなんてチープになってしまった言葉で表したくはないけど、きもかわである。

きっとキャラの動きにうっとりすることが、この映画の楽しみ方だし、バートンさんも喜ぶことなんじゃないか。

 

もう一つ、メッセージを受け取るとすると。

ヴィクターがスパーキーの蘇生に成功したのち、もう一度友達(エドガーなんだけど)にそそのかされた行った実験で、蘇生に失敗する。

それをジクルスキ先生に相談に行ったエドガー。

先生は、

科学を考えるのはココ(頭)

だが大事なのはココ(心)もだ。

科学にはいいも悪いもないのだよ。

だが両方の使い方ができる。だから気を付けなければならないのだ…

科学って再現性が確認できないと科学じゃないってよく言われていることだ。今をくすんだ光で時めく小保方さんも、そういうことで突っつかれている。

鉄とかプラスチックとか、無機物を相手にする科学だと、感情やら心の関与するところなんてほとんどないのかもしれないけど、スパーキー蘇生実験よろしく生もの相手の科学には、心が関与するのもわかる気がする。

何しろ相手も生きているし、生きていた。

こちらの温度が伝わることもあるのではないか。きっとそういったノイズが排除された先の発見が科学たり得るのだろうけれど。

そして科学も使い方だと。

ノーベルもダイナマイトを作った。あの爆薬が善にも悪にも使われていることは承知だろう。

世の中の大半の事にこれは言える。

包丁だってフルコースも作れれば、人も殺せる。親切心だって、小さな親切大きなお世話なんて言われてしまう。

すべては人の使い方、人の心である。

どう使うか、どう感じるかで、真ん中にあるはずの諸々が善にも傾くし悪にも傾く。

だからこそ、細心の注意を払って世界を見なきゃならんのだよと、ジクルスキ先生は教えてくれている気がした。

 

 

結び

ライフイズビューティフルのような、一貫したテーマを爛々と掲げた映画ではなかった。そう思う。

スパーキー可愛いから始まって、最後はモンスターパニックに着地した。

しかしだ、ジクルスキ先生はヴィクターの心と、自分の心になかなか大切な種を植え付けてくれた。サンキュージクルスキ。

 

改めてちょっと見てみたけど、やっぱりスパーキー可愛い。スパーキーの可愛さが、善にも悪にもなるとは思えない。絶対圧倒的善だ。

やっぱジクルスキ違うかもしれない。

絶対的な善はある。

可愛い。

KAWAII.