徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

いよいよもって冬

11月に残されていた秋の猶予も残り香も全部置き去りにしていく月、12月。なぜ、なぜ12月という響きにここまで冬を意識させられてしまうのだろう。四季の中で、冬以上に強烈な季節の転換はないのではないだろうか。

3月。これは春だろうか。4月は間違いなく春だ。出会いの春。では、別れの春と言えば3月か。しかし、力いっぱい春!と言えはしないだろう。初春の響きがぴったりくる。

6月。こいつは夏か。梅雨がある東京からしたら、夏とも言い切れない季節だろう。12ある月の中のモラトリアムのような月が、6月のように感じる。初夏を待つ蛹のような、でも、初夏と言えてもしまうような、6月。

9月。これは秋だ。9月生まれだが、秋生まれですと言い続けてきた。異議を申し立てられた覚えもない。しかしどうだ、最近の9月は恐ろしい。立秋とはどこへやら。めくるめく熱波が南より押し寄せる。名実の不一致。有限不実行。なんとふしだらな月か。9月。

11月。11月生まれは、きっと秋生まれの紋所を携えて生きている。11月生まれで冬を標榜している人は少ないだろう。晩秋。なんと切ない響きか。

だが、この1日。11月30日と12月1日を隔てている壁を何気なく超えていくと、そこは紛れもない冬だ。駒子が待つ湯沢温泉に旅したくなる気持ちもわかる。

 

お歳暮文化圏に、クリスマスが入り込んだNIPPON。街を歩くだけで、テレビを見ているだけで、年の瀬を強烈に意識させられる12月。そのせいだろう、冬への方向転換がこれほどまでに強烈なのは。

日もめっきり短くなった。ミックジャガーも満足できないほどに、太陽が転げ落ちていくのが早い。急かされるように1日を終え、なかなか次の日が昇らない。寒気が押し寄せるたびに皮膚と外気が遠くなり、全力少年もやる気スイッチを見失ってしまう。

キーンと冷えた北海道の空気ほどには澄んでいない東京の冬。その始まりに今立っている。目の前の仕事に追われ、目の前のインスタントインタレスティングを心待ちにして、きっとぬるい冬をやり過ごす。