徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

冷しゃぶが食べたい。

冷しゃぶが食べたい。あぁ、無性に冷しゃぶが食べたい。思えば僕は冷しゃぶが好きだった。しゃぶしゃぶの陰に隠れた実力者。冷しゃぶ。冷やし中華は最初嫌いだったが、冷しゃぶは最初から好きだった。我が家では比較的メジャーな存在だった冷しゃぶ。水菜の上にたっぷり豚バラしゃぶしゃぶを乗せ、その周りにはサラダ菜やらトマトやらが飾られる。何気ない実家の食卓である。今、恋しい。ポン酢をまわしかけ、ご飯を掻き込むあの瞬間が恋しい。お腹すいた時に限って何が食べたいか見失う癖して、お腹いっぱいになった頃にとてつもない具体性を伴った食べたいものが現れる。どうせいつかお腹すくからそのとき食べようと思うけれど、いざお腹がすくと気分は過ぎ去って、以前と代わり映えのないものを食べる。進歩のないイーティングサイクルをぐるぐる回すのだ。

食事が好きだというのは優れた長所だなと心底思う。なにしろ1日3回は多少なりとも感情の起伏がある。美味しいであれ、失敗であれ、なんならコンビニのサムシングでさえも不意に美味しかったらジーンとくるのだ。食に無関心で作業的に繰り返すよりもきっと健康だ。たぶんおそらく。


一人暮らしをするまではわからなかった食のありがたさを今実感している。実家にいた頃は何も考えずに飯を食っていたが、いよいよ一人暮らしとなると考えなければ飯が食えなくなった。一人暮らしとは能動的な食事の始まりでもある。好きなものを好きなだけ食べられるメリットと、好きなものしか食べなくなるデメリットが表裏をなす。数年前、巣立ちたてホヤホヤの頃はよく頑張って料理をしたが、最近は手間がかかるものを作らなくなった。弁当を作っている関係で料理の回数は増えたが、味付けが変わるだけで、中身は同じものだったりする。豚バラを茹でて、冷やして、水菜を茹でて、冷やして、敷いて、飾り付けて。おまけに味噌汁も作って。そんな手数を踏む料理はしない。炒めてドンっ!ばっかりだ。

手の込んだ料理を思い出す度、実家の料理が恋しくなる。母の料理が上手かったか下手だったかは別の話。ナンバーワンよりオンリーワンとはこのことだ。

あぁ、冷しゃぶ食べたい。