徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

データ通信とsupernova

スマホを1番安いプランにした結果、通信制限なるものが発生した。月に4Gバイト分通信してしまったら、それからの通信速度めっちゃ遅くされる。

これまでのスマホ生活で制限をかけていなかった。節約の一環でプランを変更したのだ。お店の人が、僕のスマホ使用状況だと1番安いプランでもそんなに制限かかる事はないというから、それを信用して安さを取ったのだった。

先月、初めて制限に引っかかり、28日より速度制限が始まった。4ギガを超えてしまったらしい。特になにを意識するでもなく、ちょうど一ヶ月で限度を迎えるあたり、僕によく合ったプランなのだろう。

しかし、この制限、露骨である。

なにをするにもデータ通信を使っていたことを痛感する速度だ。BUMP OF CHICKENに、supernovaという曲がある。

熱が出たりすると 気付くんだ

僕には体があるってこと

鼻が詰まったりすると 気付くんだ

今まで呼吸をしていたこと

この、当たり前すぎてわからない有り難み。亡くしてからわかる親の大切さ、別れてからわかる恋人の重要さ、離れてからわかる友の偉大さ。あらゆる当たり前に寄りかかって生きている僕らだが、近年は本当にこのデータ通信には負んぶに抱っこである。

何しろストレスがすごい。ワンクリック詐欺も、このスピードだったら成立しないだろう。クリックしたいと思わない。時差がすごい。スマホだからクリックではなくタップなのだが、ブエノスアイレスと東京を中継で結んだのかと思うほどの時差を生じる。

思えば、「待つ」ことも減ったように思う。いつでもどこでも連絡が取れてしまうから、待ち人探しもしなくなった。待ち合わせも簡単に出会えてしまう。いつもの喫茶店で待ち合わせなんて風情も消えつつある。フォークの時代の終わりが見える。人ではなく、物でもなく、データのロードを待つ。このじれったさに耐性がなくなっている。

お客様をお待たせしない

これは接客業の基本の基本であるが、待たされる方の待ち耐性が年々減っているから、接客業はどんどん首が締まっていっているのだろう。


通信各社一斉にデータ通信量を減らす日を作ってみたら面白いかもしれない。待つ、考える、眺める。生来過ごしてきた能力が衰えつつある今、たまにはタップをしない日があってもいいではないか。

5月に入り、データ通信制限は解除された。便利だ。先月末より携帯をいじることは増えるだろう。元どおりは元どおりだか、比較的悲しい元どおりなのだろうなと思った。