徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

イギリスのEU離脱で想起する、荒れた中学校

画して、イギリスはイギリスとして生きる道を選んだ。なんの見識もない僕が、通勤時間に一生懸命読んだ日経新聞と昼休みにチラ見したワイドショーとで得た知識をつぎはぎしたところによると、この離脱の判断はどうも賢明じゃないようだ。日本国内を見ても、ポンドやらユーロやらからリスクヘッジの大義名分を元に逃げ出したお金が円に流れ込み国内の輸出産業が真っ青になっているあたり、とてもじゃないけど歓迎しかねるし、それこそヨーロッパとして動いていた欧州諸国は、EUにおける金融の中心であったらしいロンドンが離れていくことになるわ、イギリスとの貿易に関税かかるわで、メリットなんて微塵もないレベルでないようだった。

果たして誰が得をしているのかと。離脱派は何を考えているのかと。

移民への抵抗は一つの原動力らしい。イギリスの労働階級、つまり我々のようなサラリーマン層が、移民に仕事を取られることを危惧しての離脱。社会保障を維持するための税金爆上がりに対する憤慨の離脱。治安悪いのまじで嫌だわの離脱。

どれもなるほど共感する面は多々あるが、識者たちに言わせるとこれは浅はからしい。なぜか。これまで移民によって支えられてきたイギリスの産業が、移民を締め出した結果どうなるやらわかったもんじゃないのが一つ。移民によって引き起こされる経済負担なんかよりもEUを離れてヨーロッパ内で関税がかかった結果引き起こされる経済危機のほうが余程恐ろしいのが一つ。これは国内だけじゃなく、現に世界がいま経済不安に包まれ、株が放り投げられている状況だったり、欧州各国から俺もEU出たい論が噴出している状況だったりを見る限り、傍迷惑も極まりない話のようだ。

なんとなく、かつて通った中学校を思い出した。

優等生だらけなわけでもなく、ほどほどに荒れた生徒もいた我が母校。クラスを牛耳っていたのは無論ボスのような番長のようなホストのような風貌をした、眉毛がなくて噴水みたいな髪の毛でキメた連中であった。彼らは圧倒的にレジスタンスだ。わかりやすい先生という社会の入り口に楯突いて、あーでもないこーでもないとわがままを言う。世の中に対する不平不満を見た目と行動で発散させる。そうはいっても、うちの中学校では彼らの思い通りにはならなかった。なんだかんだ言って、教師がイニシアティブをとってコントロールしていた。やり玉にあげられた教師もいた。だが、全体としては全く中学生の枠をはみ出さずに卒業した。

今回の国民投票の結果はきっと、いわゆる「荒れた」連中が多数派を占めるものとなったように感じる。クラス運営や彼らの将来を思うに、彼らの行動は間違いなく是正されるべきものだし歓迎などされないものだが、多数決という原始的かつ言い訳の利かない方法で主導権を握ってしまった。授業中に立ち歩いていい派や突然大挙して体育館に押し寄せてバスケをし出してもいい派が、授業中には机について勉強をしよう派を上回ったのだ。僕らの通った中学校どころじゃなく荒れた学校だったりしたら、多数決の結果は間違いなく反体制勢力が勝つ。でも、それは間違っている。悲惨な事態にならないように教師は闘う。決して多数決なんてしない。負けるからだ。数では負けるから。

優等生が正しいわけではないだろうが、やはりどうしても世の中的に望まれる立場や考え方は存在する。今回であればそれはどうやらEU残留だったらしい。イギリスはきっと、国民に判断を委ねたらいけなかった。意地でもEUに残る道を示さなければならなかった。それこそ、荒れた学校に勤める教師の如く。

起こってしまったものは仕方ないし、起こった後にどうこう言うのは容易い。キャメロンさんもまさか負けるなんて思って多数決をしたわけじゃあるまい。世論を抑え込むつもりで、強気の選挙だったのだろう。泡を食ったわけだが。

一国の首相でさえ、こうなるのだ。世の中を読んで渡って行くのは、これは生半可なことじゃないぞと、改めて思う。改めて、生き方を考えさせられる。