徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

やはりTSUTAYAの魔術に翻弄される

TSUTAYAで借りてみないで返す切なさったらない。何故僕はあそこで自分の隙間時間と映画への興味とを天秤にかけて少し背伸びをしてしまうのだろうか。TSUTAYAの術中に迷い込んでしまっている。

なんとなく映画が見たくてふらつくTSUTAYAの楽しいこと。背表紙見て、裏表紙見て、ううん、面白そうって棚に戻す作業を繰り返す。不毛だとはわかっていても、レンタル代のたった100円を吟味して吟味して使いたくなる。ようやっと目星をつけて、一作手に取る。ここで逡巡する。手に取っている映画と全く別のベクトルに向かっている映画をもう一作借りようか。コメディだったらサスペンスを。ドラマだったらドキュメンタリーを。何故か借りるDVDの中でバランスを取りたくなる。もしこの映画が重すぎた時に、中和する何かがあったらいい。そうして、浅はかな考えの基、もう一作借りる。

そして、見ない。

この過ちを何度繰り返したことか。見ようと努力して寝る分には諦めがつく。しかし、映画の優先順位がなんやかんやで低くなり、時間が無くなった挙句の見ないで返却は心から痛ましい。出費面ではたかだか100円だが、メンタルに響く。何しろ、見る気で借りてきているわけで、どうしても諦める直前まではDVDを観賞する時間を何としても作ろうと、仕事やら家事やらに全力を尽くす。Youtubeとかを散歩したりもするが、そんな合間にも映画見なきゃのプレッシャーはずーっと頭の中を占めている。酷いストレスである。見もしない映画に追われるのである。死なない程度に自分の首を絞めている。

いよいよ諦めがついて返却することになっても、ここでTSUTAYAルールがまた重くのしかかる。返却日の翌日の10時までは延滞無しで返却OKなのだが、10時にTSUTAYAにDVDを返しに行くためだけに外出するけったいさったらない。仕事の日ならいい。出勤ついでに返却しようじゃないか。しかし休みの日なんかは、ゆっくりパソコンで囲碁でも打ってギターでも弾いて悠々な午前中を過ごしたいのに、TSUTAYAの延滞料金250円という、見てもいない映画から生まれる莫大な経済損失が目の前にやってくる。しぶしぶ出かけるが、ぎりぎりまで出かけない。出掛けたくない。

 

お休みを頂戴している本日。すでに9時は40分を回っている。延滞発生迄あと20分。まだ間に合う。まだ間に合うが、出掛けたくない。見てもいない映画への出費。これ以上傷は広げたくないが、観賞しなければのプレッシャーとすでに支払ったレンタル代で僕の血液はとっくのとうにドバドバ流れ出している。

あぁ、出掛けなければ。あぁ。

しかしいい天気だ。太陽に免じて出掛けることとする。