徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

趣味得意格差

学生時代、車を愛して車に尽くした友人がいた。世の中の車狂に比べて彼女がどの程度のカーホリックだったのかはわからないが、カスタマイズも好きだし、走るのも好きな、車高がお低いお車がお好き系お嬢様であった。

全くもって車に興味がない僕にとって、彼女の話す話はとても面白かった。同じ授業が何個かあるくらいの接点だったが、巨大サービスエリアにおける各チームの小競り合いや走行会など、それは楽しく彼女の車トークを拝聴した。

そして話を聞くたびに、なんてお金がかかる趣味なのかと震撼したものだった。パーツを変えるのに幾ら、ハンドルを太くするのに幾ら、つーかそもそも車に幾ら。凝りだしたら何事も出費がかさむものだが、やはり興味の対象によって出費の大きさは変わってくる。

僕なんかは音楽に多少の出費をするが、ホリック度合いが大したことないので、ギターに十万円弱、パソコンの打ち込みソフトに数万円、アンプに数万円。多分生涯音楽関係出費をすべて洗っても二桁万円ちょっとくらいしかお金をかけていない。車のマフラーをボボボボボボボボ鳴るやつに変えるだけで僕の音楽人生が賄えてしまうのではないだろうか。

価値観や好みは個人の好き嫌いじゃどうしようもない。育った環境、生まれ持った気質、あらゆる要素が足された末に、価値観が醸成される。そこに貴賎はないし、優劣もない。だが、数値化してしまうと抗いようのない出費格差が生じる。

最高にコスパの良い趣味を考えると、形の良い石拾いとかになるだろうか。素敵なローリングストーンに心血を注げるのであれば、出費ゼロで最高の満足感を得られることとなる。強いて言えば、形の良い石がある河原とかを求めて旅に出たりした場合の旅費が大きな出費になるだろうか。ただ、最初の一歩を踏み出すときの初期投資は著しくコスパがいい。

コスパの差もあれば、世間受けの差もある。石拾いと映画鑑賞であれば映画鑑賞のほうが会話を共感的に話せる人が多いだろう。全力でキャバクラ開拓をしている人も、全力でおしゃれカフェを開拓している人も、きっと同じくらい義に燃えているのだが、キャバクラ開拓に怯んでしまう人はきっと一定数いる。

趣味興味に貴賎はないはずなのにである。


同じように、世の中をなめしてみると、口が上手い人が得をするようにできていると感じる。本人の実行力が最悪伴わなくとも、十全に自身の思想や構想を伝え、かつ人を感動させるような語り口を作為的に作り出せるのであれば、人々を大いに巻き込んだ一大作戦を実行するのも容易いだろう。人は見た目が何割とかいうが、口のうまさが有り余っている場合、見た目なぞ大した障壁にもならない。

あやとりが一般人のふた周りくらい上手い人と、口が一般人のふた周りくらい上手い人だと、口の上手い人の方が魅力的に見えてしまう。得意種目が顔なんていう芸能人待った無し人間なぞ、得意で得する最たるパターンだ。


だからと言って、世間からわかりやすい趣味を目指し、得意を育てようとすると、途端にやる気をなくす。続かない。不思議なもので、自己から湧き出る興味と他から染められる興味では圧倒的に自己本位の継続力が強い。

最早コスパとかの話ではないのである。興味と得意のレールはすでに敷かれてしまっている。乗り入れがあるかどうかは走ってみなければわからない。もしかしたら石拾いが発展して化石を見つけ出してとんでもない発見を連発する人間になるかもしれない。ならないかもしれない。だからこそ続けるのだ。鯉が滝を登って龍になるように、世間ずれしたコスパの悪い趣味もいつか風向きが変わって流行るかもしれない。その瞬間まで耐え忍べば、自分がマイノリティからメジャーに転じられる可能性だってあるのだ。そうでなくとも、興味は興味だ仕方ない。胸を張ればいいのである。出費に歯をくいしばるしかないのである。


しかしまぁ。

ローリングストーン収集家には、憧れの気持ちがないわけではない。