徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

弁当を作り置きしておいたときの心の余裕

毎朝作っている弁当。職場では「弁当男子」「弁当王子」と称され、終いには一部お姉さまからは弁当王子の弁当が取れて王子とのみ呼称されている。プリンスとは私のことです。

弁当を作り出してやや一年。大半が炒め物とご飯の二段弁当であったが、いくばくかのチャレンジもした。お正月にはお雑煮をタッパーに入れて持って行き、つゆを通勤途中に滴らせるハプニングを起こした。お餅はつゆを吸って硬いはんぺんみたいになっていた。ぶよぶよな玉ねぎを果敢に炒め、食した結果腹痛に襲われたこともあった。手をつけてもいない、電子レンジで温めただけのお弁当をダイナミックにひっくり返したのは、ついこのあいだのことだ。天に召された舞茸や玉ねぎ、人参たちの四十九日は終わっていない。忌中である。

思い出は尽きない。これらの今まで作ってきた弁当たちはすべて、その日の朝に調理されていた。早起きは得意な質なので、特に頑張らずとも弁当を用意できていた。

だがこの間から、僕は朝走り出してしまっている。30分にも満たない時間だが、これがえらく朝時間を圧迫している。二兎を追って今はギリギリ二兎を得ているが、いつこの生活が破綻するやらわからない。早起きを意識してするのはそこそこにしんどければ、走らないのも弁当を作らないのもどことなく悔しい。

そこで、夜に弁当を作って、朝は持っていくだけの状態にする試みを、この二日くらいしている。

これが楽である。

よく考えれば当たり前のことだ。どうしようもなく切り詰めた時間の中でやりくりするよりも、疲れていても余裕がある時間で作業した方がよほど賢い。晩御飯をたくさん作って、翌日持っていってもいいのだ。

するとここ二日ほどの心の余裕が全く違う。朝も悠々支度ができる。今までは焦ってジャケット羽織って飛び出したら思ったのと全然違うジャケットだったりってありがちなドジをしょっちゅうしていた。そんなゴタゴタともおさらばなのだ。弁当は僕の手の中にあるから。


プリンスは明日もお弁当を持って出かける。冷蔵庫の中に、僕のプリンスたる所以が詰まっている。ゆっくり走れそうである。