徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

タイムリミットは突然に

勉学のお話です。

朝起きた段階ではまだ腐るほど時間あるじゃんと心に余裕を持っていたのに、昼過ぎあたりからの時間の進み方が怒涛のそれで、あれよあれよと言う間に日が沈んでバラエティがテレビから流れてくる時間帯になってしまった。時間経過の恐ろしさについて落ち着いて考えたいので、今キーボードを殴打している。この間もあれよあれよなのは自明なのだが、知らぬ知らぬを貫き通したい。

午前中、それはダイヤモンドのような時間であった。無限にもみえる時間の大海が目の前に広がり、万能感に心が踊っていた。時間の大海は、そっくりそのまま僕の可能性のようだった。だからこそ、心に余裕を持ってことを運べた。一心不乱に集中もできた。ちょっとよそ見しても大したことはない。何しろ可能性はどこまでだって広がっているのだ。

空腹と比例して集中力は研ぎ澄まされていく。獲物を狩るライオンのように気を張っていたものの、張り詰めすぎると逆に脆くなってしまうことを知っているので適当に切り上げて昼飯を食べに行った。今思えば、これが運の尽きだったかもしれない。

満腹になった僕は全く使い物にならないゴミクズになっていた。あれほど強烈に尖ってた集中の切っ先は峰打ちもできやしないフニャフニャブレードと化し、ペンは剣よりも強しって開成の連中にシャーペンを刺されたら一撃でお陀仏するレベルのなまくら人間が誕生していた。陸上競技をやっていたものならわかると思うが、一度タレるともうそのレース中・練習中の復帰は極めて厳しい。身体と心が折れて支えがなくなると、もう日を改めなければ頑張れなくなってしまう。昼飯後の僕がそうだった。頑張れなかった。あらゆることが気になりだす。頭が痒い。背中が痒い。メガネが合わない。普段だったら全く気にならないことに敏感になる。集中していない証拠である。

気分転換に違うことをしようと思った。本でも読もう。ゲームとかしてみよう。囲碁を打った。ネットを徘徊した。するとどうだ、日が沈んでいた。

自由と可能性を湛えていた時間の大海は、気づけばプレパレートの中の水のように小さく枯れてしまった。焦りが首をもたげる。途端に頭のかゆみが気になりだす。遊んでいるときは微塵も気にならなかったのに。シャワーを浴びる。ご飯を食べる。一息ついて、今である。

時間の大海は今や眠気の波となって押し寄せてきている。タイムリミットは近いというのに。フニャフニャブレードとなまくらマインドを持って、戦う。

殴打するべきはキーボードではない、自分の意志だ。